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日本語はすばらしい言葉だ!

 

2001年2月19日

さて、14番の項目で『日本語の難しさ』について語ったわけですが、この15番では視点をガラッと変更して、『日本語ですばらしいと思う点』について語ってみようと思います。
いや、といっても14番で書いたようにやっぱり私は言語学者じゃないし、それに大学で日本語の専攻を取ったわけでもないですので、ここで上げるのはあくまで私自身が思った、もしくは感じた事だという事をあらかじめ言っておきます。

さて、日本語で凄いと思う点というのはそりゃあもう沢山あるわけですが、私自身が考えるに、主に3つの面において凄い部分があると思います。


一つは、カタカナの存在
カタカナって主に、外来語を表現する時に使われる文字ですよね。でもこれってば、かなーり特殊な文字なんじゃないでしょうか。
というのも、私達が日本語で書かれた文章を読んでいる時、『カタカナが使われている』、もうこれだけで読み手は言葉の発音や文字の並びなどを見る以前に、この言葉が外来語もしくは特殊な言葉だという事を知る事が出来るじゃないですか。
これって他の言語に比べて、かなり凄い事なのでは?
例えばアメリカ人のある大学の教師が言うには、他の言語から来た英単語を読んだ時、大体単語の発音やアルファベットの並びなどで『ああこれは他の国から来た外来語なんだな』と推測するんだとか。あとスペイン語やポルトガル語、ドイツ語や韓国語の場合も、どうやら同じように発音や文字の並びなどによって推測するらしいです。
そう考えるとカタカナの存在って非常に特殊なモノといえますよね。

後もう一つ凄いと思うのが、文章上で外国人の話しているという事を、付加的な説明などを一切入れずにカタカナを使うだけで簡単に表現できるという事。これはいわゆる外来語を表現するというカタカナの特性の発展形ですが、これまたやっぱり凄いと思います。
少し前、このエッセイを製作するにあたってスペイン語やポルトガル語、英語や韓国語、ロシア語を話す人達に
『小説やショートストーリーなどで、物語中のセリフのみ(いわゆる『○○は言った』などの状況説明は無い状態)で外国人の話し方を表現するには、どうするか?』
という質問をしてみたんですよ。
で、彼らが言うには普通はネイティブの人ならば間違わないような文法上の簡単な間違いを使って、外国人、すなわちその国の言葉をあまり知らないという事を表現するんだとか。
例としてアメリカ人の場合、『A、AN、THE』が使われる部分でわざと使わないとか、形容詞が来るべき所に副詞を持ってくる、前置詞をわざと間違えたり使わなかったりする、など。もしくは文章の終わりに( )マークを使って付加的な説明を取り入れたりもするらしいです。
ちなみにこういった表現、日本語でも良くありますよね。
例えばファンタジー小説などで『俺もやっぱりお前と行く』というのを『おれ、やっぱり、行く、お前と』みたいに文法上でどうにも妙な感じで文章を作成したりして。
ただ、これはやっぱり文章全体を読まないとわかりにくいし、時には緊張した人や子供がしゃべっているのか、と思う場合もあるんですよね。
しかし、日本語の場合、これらの文章を『カタカナで書く』だけで簡単に外国人がかたことで喋っているという事を表現できます。
例としてとある小説を読んでいる時、物語内のセリフで
『あなたは神を信じますか?』
という文章が、
『アナタハカミヲシンジマスカ?』
のようにカタカナで書かれているだけで、ほぼ全ての読者が一目でこのセリフは外国人の片言なセリフ、もしくはロボットのような妙に不自然なしゃべりであるという事を簡単に知る事が出来ます。
こんな事が出来る言葉って、カタカナ以外ではまずないんじゃないでしょうか。
というか、そもそも他国の言語を表現する時に、カタカナのようにそれ専用の文字を使う言語ってあるんでしょうか?
いや全ての言語を調べたわけではないので、もしかしたら日本語以外にも存在するのかもしれませんが、少なくとも非常に珍しいケースだというのは確実でしょう。
カタカナってそう考えてみると、本当に特殊で不思議な文字ですよね。


さて、日本語の中でもう一つ凄いと思うのが、漢字の存在
漢字って世界の言語の中でも屈指の難しさを誇る文字だというのは当然私も知っていますが、ここではそういう面はあえて上げず、すばらしいと思う面について語ろうと思います。
とにかく漢字で凄いと思うのが、漢字の一つ一つそれぞれにはほとんどの場合独立した意味があるという事。
熟語って数個の漢字が合わさって構成される単語なわけですが、面白いのはその漢字一つ一つが熟語を構成する言葉としてちゃんと機能しているということです。
例えば『背景』という単語の場合、後ろを表す『背』という字と映像を表す『景』という字が合わさって出来います。
他にも『現像機』という単語の場合、写すという意味の『現』という漢字、実体を意味する『像』という漢字、そして道具を意味する『機』という3つの漢字によって構成されています。
このようにほとんど場合、熟語を構成している漢字は、全てその熟語を意味するために何かしらの機能を持っていますよね。
そう考えてみると、読み手が別にその熟語自体を知らなくても、構成された漢字を一つ一つ見るとなんとなく意味がわかるというのが漢字の凄い所だと思います。
それに、これにより新しい熟語も比較的簡単に製作でき、また読み手も比較的簡単に内容を推測する事が出来ますよね。
皆さんもこんな経験あるんじゃないでしょうか。本や小説などで見た事のない熟語が沢山あったけど、構成された漢字を読んだだけでその意味がすぐにわかってしまったという事が。もっとも、中には発音を間違える事もありますけど(笑)。
このように、漢字の存在って単語を構成するという面においては、非常にすばらしく出来ていると思うんですよね。
ちなみに中国語に関してはよく分からないので、そこらへんのツッコミはご勘弁を。

なんだかこの文章、漢字に対してやたらとベタ誉めしまくりですが、勿論世の中そんなに甘いものではなく欠点もあります。
いくら漢字が各々の意味を持っていて知らない単語でも構成された漢字によってある程度の意味の予測がついたり、新たな熟語や単語の作成が比較的容易だといっても、結局の所読み手がその漢字を熟知していなければ意味がなく本末転倒なんですが……。
それに、漢字一つ一つに独立した意味があるということは、必然的にその数は膨大なものになるわけでして、覚えるにはかなりの労力が必要となるという事を浮き彫りにしているともいえますよね。14番の『日本語の難しさ』であげたように。


そして最後に、付属語の存在
付属語とは、いわゆる『〜は』『〜を』『〜で』『〜も』みたいに、単語の後ろに付いてその単語の文章内での役割を示す文字の事です。
日本語にはほぼ全ての文節に、このような付属語がついてきます。
そしてこの付属語のおかげで、文章内の単語がどんな役割を持っているのか、また何の単語を修飾しているのかがわかるようになっています。
しかし、これって考えようによっては、単語の並びがバラバラになっている文章でも、この付属語を見ることによってある程度はその文章の内容を知る事が出来るといえるんですよね。
例えば
『明日、私は学校に行く予定です』
という文章があった場合、これを
『予定です。明日、行く、学校に、私は』
と書いてあっても、付属語があるので大体の内容は予測がつくんじゃないでしょうか。
これが英語などの場合、こうはいかないもんです。
一度、アメリカ人の教師に
『Tomorrow, I will go to school』
という文章を
『Will tomorrow to school go I』
のように単語を入れ替えて、この文章の意味わかるか?と聞いてみたんですよ。
で、その人は『全く意味がわからん』と答えました。
英語ではやはり単語の順番というのが非常に重要みたいです。
勿論日本語の場合も、あまりに長い文章がこのようなバラバラな単語の並びになっているとさすがに意味が分からなくなりますが、それでも1列ぐらいの文章ならば付属語の機能のみでも十分に内容を推測する事が出来ます。
というか、それ以前にそんなバラバラな並びの文章しか作れない人は、長い文章を作る事って無いんですけどね。(^^;
したがって、日本語のこの付属語というのは非常に便利な、そしてかなりうまい具合に作られたモノ、といえるんじゃないでしょうか。

まあもっとも、漢字の部分でも書いたように世の中そんなうまい話はやっぱり無いもんで、これにも大きな欠点があるんですが……。
いくら付属語によって不規則な文節並びになっている文章の内容がある程度理解できるといっても、結局の所その付属語の機能を正しく使いこなせていないと単なる意味不明の文章になるだけですし、それに、この付属語を正しく使いこなすのって思った以上に難しく、もしかしたら単語の正しい並べ方の方が簡単なのかもしれないんですよね。
実際ネット上の掲示板などでは付属語の使い方が間違っているために、相手に誤解をさせてしまうって事がよくありますし。
なんだかんだいいつつも、全てを正しく使うとなると難しいものです。
ちなみに余談ですが、韓国語と朝鮮語の文法って90%近くが日本語とほぼ同じだって知ってますか?
なので、日本語からの直訳がかなり簡単なんですよね。その逆も然り。


とまあ、以上にあげた3つが、私が日本語に対して思う、すばらしいと思える面です。(何だか欠点もいくつか書いていますが、そこらへんは気にしないように(笑))
とりあえず、この3つに関しては、他の言語に比べてもかなり優れている部分ではないかと思えるんですが、どうでしょう。

ま、この感想は学問的な観点から見たのではなく、あくまで一般人の視点から表面的に見た場合なんですが。