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小学校時代の不毛な争い

 

2001年3月11日

今回はちょっとした小学校時代の変な思い出でも語ってみましょう。

小学校時代、いわゆる10歳前後の年頃といえば、今考えてみると本当にどうでもいいような事なのに、やたらムキになったり必死になったりしますよね。
例えばよくある話として、トイレに関する事など。ほら、いわゆる学校のトイレで大便をするとクラスメイト達がやたらそいつを汚い汚いって騒ぐやつ。
別に大便なんて家でしようが学校でしようが変わらないモンですが、なぜか小学校時代には学校で大便をするという行為そのものが汚い事だとよくいわれますよね。
みなさんの小学校時代にもこれと似たような事があったんじゃないでしょうか。
私の小学校時代も、これと同じように本当にどうでもいいような事に対して皆一生懸命わけのわからない争いを繰り広げていたものです。
ここでは私の小学校時代に行われていた、変な争いだったモノを4つほどあげてみようかと思います。

一つは、休憩時間終了時のボール争い
小学校時代、私のクラスメイト達は皆サッカーが好きでした。
なので、授業後の休み時間になるとほとんど皆校庭に出てサッカー遊びばかりしていたものです。
昼休みはもとより、授業間にある10分ほどの短い休憩時間にも毎回校庭でサッカーしてました。
ちなみにこの10分間のサッカー、休み時間毎に最初のチーム編成から始めるので、実質的にサッカーする時間は5分ほどしかなかったんですけどね(笑)。
まあそんな短い時間しかなくても、みんな楽しくプレイしていました。
さて、ここまでの話だけなら、ごく普通のサッカー遊びが盛んな小学校だったという事になるんですけど、しかし私の小学校ではこのサッカー遊び終了時にわけのわからない骨肉の争いがいつも起こってたんですよ。
というのも、普通小学校などではサッカー遊びが終了すると、誰かがボールを片付けなければいけないじゃないですか。
勿論私の小学校時代も同様で、授業のチャイムが鳴ってサッカー遊びが終了すると、それまで使っていたボールを教室もしくは元あった場所に片付ける必要がありました。
がしかし、私のクラス内では、ボールを片付ける責任者というのがボールを持ってきたものではなく、授業のチャイムが鳴ってサッカーが終了した時、一番最後にボールを触っていた者が片付けなければならないという、暗黙の了解がなされていました。
何時、何処で、誰が決めたのかというのは全く分かりませんが、とにかく私の学年の中ではいつのまにやらこのように決まっていたのです。
したがって、例えばある一人がボールを大きく蹴った瞬間に授業のチャイムが鳴ると、まわりのクラスメイト達は皆一斉に教室に走り出し、そのボールを蹴った本人が自らボールを取りに行ってボールを片付けなければならなかったんですよね。
ただ、これだけ見ると単にボールを最後に触った本人が素直にボールを片付ければいいだけなので、特に問題は無いんですよ。が、しかし問題なのは、小学校時代というのはこんなごく普通の事に関してでもみんな妙なプライドを持っていたということです。
ぶっちゃけたハナシ、当時の私のクラスの中ではこのボールを片付ける役割を担うのって、屈辱というか、不名誉な事、いわゆるイヤな事だと認識されていたんですよね。なんでそうなるのかはよく分かりませんが。
まあそんなわけでして、チャイムが鳴った時に最後にボールに触っていたものが片付けるというこのシステム、皆自分が片付ける役割を担いたくないためにこのシステムを変な争いにまでしばしば発展させていたものです。
どういう事かというと、最後にボールを触っていた者が、自分がボールを片付けたくないがために他のクラスメイトにボールを無理矢理触らせるんですよ。いうなれば、ボールをぶつけるんです。
そしてそのボールをぶつけられたクラスメイトも、自分が片付けたくないのでぶつけ返す、もしくは別のクラスメイトにぶつけるという事をします。
すなわち、休憩時間に仲良くサッカー遊びをしていたクラスメイト達が、授業のチャイムが鳴ると同時にドッジボールさながらのボールのぶつけ合いが始まるんですよね。
ボールを持っている側はボールを当てるチャンスをうかがい、特にスキが出来やすい、皆が靴を上履きに履き替えている時を主に狙います。時には先に上履きに履き替えて下駄箱直後の廊下で待ち伏せしたり、ボールが遠くに飛んでいくように狙ってぶつけたりもします。
そしてボールを持っていない側は、ボールに当たらないために必死で避けます。
例えば靴を履き替えるときにはスキが出来ますが、もし自分がぶつけられてもすぐに他の者にぶつける事が出来るようにタイミングを見計らって上履きに履き替えるとか、チャイムが鳴った瞬間に争いに巻き込まれないためにダッシュで下駄箱に向かうとか、チャイムが鳴りそうな時間帯になると下駄箱の入り口近くまで移動しておくとか、わざわざ別の入り口にあらかじめ上履きを置いておいて争いに巻き込まれず悠々と教室に向かうとか。
とにかくチャイム直後からは、自分以外は全て敵、いかにして相手にボールをぶつけるか、そしていかにしてボールを避けて教室に辿り着くかというのに必死な、サバイバル合戦開始というわけです。
時にはあまりにもこの争いがデッドヒートしてしまい、すでに先生が教室に来ているのにまだ下駄箱付近でぶつけ合いを続けている事もあります。こうなると当然授業は遅刻で、クラスの一番後ろに立たされます(笑)。
う〜ん、それにしても思い返し見ると、本当にバカみたいでそれでいて醜い争いですなあ。あはは……。
素直にボールを片付ければいいのに、こんな不毛な争いをしてしまうあたり、これが小学校時代というものなんでしょうかねえ。

さて二つ目は、『ギッチョ』という言葉
小学校時代って、なにか汚いものを触ってしまうと、そいつは汚い存在みたいになってしまいますよね。
例えばある一人が犬のフンなどの汚い物を触ったり、学校で大便を行ったりすると、他のクラスメイト達は『エンガチョ』や『カギしめた』などのようなセリフと共に、その者をしばらくの間、避けるようになります。
そしてその者が他のクラスメイトに近づくと、『うわー汚いのが来たぞー。逃げろー』といってみんな逃げだします。
皆さんも小学校時代にこのような経験をした事あるのではないでしょうか。
私の小学校時代は、このような行為を『ギッチョ』といってました。
ある一人が犬のフンやゲロなどの汚い物を触ったり学校で大便をしたりすると、周りの皆は一斉に『ギッチョ』と叫んで両手でチョキを作ります。そしてギッチョされてしまった者は、それからしばらくの間は『存在自体が汚い』となってしまうんですよ。
で、『ギッチョ』するのは、その『汚い存在』という者に対してのバリアーを張った、という事になるわけです。
こうなると、汚い存在となった者はギッチョした者達に対して暫くの間は近づいたり触ったりする事が出来なくなってしまうという。もし無理に触ったとしても『俺はギッチョしてるからきかへんぞ〜』といわれてしまいます。ひどい時などは、授業中にもそいつの周りに近づかないようにするというような事などもやってました。
で、もし『ギッチョ』された場合、その『汚い存在』という状況から抜け出すには、まだ『ギッチョ』をしていない(気付いていない)人や『ギッチョ』してても手でチョキを作っていない人に触ればいいのでした。そうなると、触られたものが『汚い存在』となるわけです。
しかしねえ、これも思い返してみればみるほど本当に変な行為でしたねえ。
そもそもなぜにチョキなのか?またなぜそのチョキがバリアーをはったという意味になるのか?なぜ他の者を触ると『汚い存在』という権利がそいつに移るのか?犬のフンを触ったり踏んだり学校で大便をする事がそんな必死になるほど汚い事なのか?そもそも誰がこんな妙なシステムを考え付いたのか?いや、それ以前になぜクラスの皆はこんな妙なシステムを受け入れていたのか?
もうとにかく謎ばかりです。
やはりこれもつまらん事にやたら必死になってしまうという、小学生ならではの行為なんでしょうかねえ。
私もクラスの同級生達も、本当にバカな事をやってたものです。
ところで余談ですが、いまさらながらよく考えてみると、この『ギッチョ』という行為、全員で一人を汚いといって避けるのが一種のイジメに近かったんじゃないかという気がしてなりません。
いや当時は別にそんな事全く意識してなかったんですが。

三つ目のわけの分からない争いは、『一発は一発』という理論
小学校時代というのは、とかく皆やたらにつまらない事に関してムキになりますが、それは『叩く』や『殴る』という行為に関しても同様です。
この『一発は一発』という言葉、意味は『一発殴られると、一発殴り返す事が出来る』というものです。マンガのケンカのシーンなどでたまに使われますよね。
しかしそこは小学生、こんな単純な行為にも皆やたら必死になっていました。
基本的に上にあげたマンガなどと同じように、一発殴られたら一発殴り返す事が出来るという仕組みは同じなんですが、それがあまりに極端。
例えば少し軽くポンと叩いたのを『一発どついたな。一発は一発。殴らせろ』といって一発分思いきり殴り返してくるんですよね。
なので遊びで争っている時にこの『一発は一発』理論を持ちあげると、そこから『一発は一発』に関する争いが起こるわけです。
基本的にこの争いは、大抵最初に軽く叩かれた側が『一発は一発』を口にしてから始まるので、一発やり返す方が理不尽かつ圧倒的に有利と見えそうですが、そこは常識が通用しない小学校時代、やり返される側もこの一発の仕返しを回避する事に余念がありませんでした。
一発の仕返しを回避する方法としてよくやったのが、相手が一発やり返そうとしてこちらに軽く触れた瞬間にその軽く触れた事自体を『一発分』として無理矢理押し通すという事。
例えば一発軽く叩いてしまって、そいつが『一発は一発だな。一回分殴らせろよ』といって振り上げた腕がこちらに僅かにでもかすったりすると、『あ、今ちょっと触ったな。これで一発分は終わりな』といってそれを強引に一発扱いとさせるわけです。
そして勿論、小学生なのでこの手の争いは皆必死になるせいか、次第にエスカレートしていきます。
相手が立ちあがろうとする瞬間に相手の頭の上に手を伸ばしておき、立ちあがった相手の頭がその手に触れただけでそれを一発叩いたと同じ扱いにしたり、遊びで叩き合っているのを事細かに数えて後でその分きっちり叩き返して来たり、ひどいのになると相手の顔や体の周りに手を張り巡らして相手が触れた回数分叩き返したりなど。こうなるともう動く事すら出来ませんでした。出来る事といえば、息を吹いて反撃するくらいか(笑)。
う〜ん、つくづくバカな争いですね。
あ、でも誤解のないよう念のためいっておきますが、私の小学校時代のクラスではこんな無法地帯みたいな争い事を四六時中やっていたわけではなく、こういった事が起こるのはお互いがちょっとムキになった時くらいだけでしたよ。

さて、四つ目は『まだまだ新米だな』争い
上の文章だけだとまるで意味不明なので、もう少し詳しく説明します。
皆さんは、こういった事をやったことありませんでしたか?ほら、後ろを向いている相手の肩を叩いて、その相手が振り向いた瞬間に指で相手の頬に『つっかい棒』をするというイタズラ。
何だか一般的には『つっかい棒』とかいわれるらしいですが、私の小学校時代には『つっかい棒』という言葉は使わず、つっかい棒をした者が引っかかった者に対して『まだまだ新米だな』と言っていただけんですよね。
しかし、今考えてみるとこの言葉、さっぱりわけがわかりません。
そもそも一体何に対して新米なのか?といった疑問が浮かび上がってもおかしくなかったんですが、しかしみんなまだまだ小学生。だれもそんな事は微塵も疑問に思わず、とにかくこのつっかい棒をする事に一生懸命でした。
はっきりいってバカですね。さすが小学校時代です。
多分、意味的には『こんなイタズラに引っかかるなんて、まだまだ甘いな』という意味なんでしょうかね。
ちなみにこの争いというか遊びはおそらくいろんな地方で行われていたと思うので、特に珍しい事ではないと思いますが、しかし私の学校では、これに関して面白い現象が起こりました。
それは、言葉が次第に少しずつ省略されていったという事。
最初、これが流行り出したばかりの頃は、相手がつっかい棒に引っかかると『まだまだ新米だな』というセリフを投げかけていました。
しかし、次第にこの争いが定着していくと、『まだまだ新米だな』という言葉は『新米だな』と省略されるようになっていきました。
そしてしまいには、『新米』としかいわなくなりました。
何でも省略する日本語らしいといえばらしいですが、しかし冷静に考えてみると、ハタから見たらさっぱり意味不明な言葉のやり取りになってますね。
相手の肩をポンポンと叩き、相手が振り向いた瞬間に頬につっかい棒。そしておもむろに『新米』という一言を投げかける。
う〜ん、知らない人が見たら見事なまでに意味不明度100%。本当は『こんなイタズラに引っかかっているようじゃまだまだ甘いな』という意味が込められているんですが……。
しかもそれだけではなく、この『新米』という一言があまりに定着してしまい、最終的にはこの行為、すなわちつっかい棒そのものが『新米』と名づけられるようになっていました。
そんなわけですから、つっかい棒争いがエスカレートしていくにつれ、『もう、お互い新米やめようか』とか『あんまり新米すんなよな』、『お前新米の使い方うまいなあ』とか『新米に引っかかりすぎ』のように、もう完全に独立した単語として使われまくってました。
ワケわかりませんね。
まあとにかく、バカな時代でした。
ちなみに余談ですが、知っている人ならば知っていると思いますがこのつっかい棒、私の学校では争いがエスカレートしていくうちに当然の如く、様々なバリエーションが生まれました。
相手の肩に手を置いてそのままつっかい棒、肩に手を置いたままだと相手に気付かれるので肩から僅かに手を浮かせてのつっかい棒、つっかい棒を見破って反対の方向から振り向く、更にそれを読んで両肩につっかい棒を出しておく、更にまたそれを読んで少ししゃがんで振り向く、頭全体につっかい棒(いわゆる手で覆う)を出しておく、それを読んで振り向かずに返事だけをする、1回目は普通に呼んで警戒心をなくさせ2回目につっかい棒、更に裏をかいて3回目につっかい棒、など、もうとにかく相手につっかい棒をするためにありとあらゆる方法が行われていたものです。
う〜ん、おバカ。

以上の四つが、私の小学校時代での主だった変な争いです。
冷静に思い返してみると、本当にバカバカしい事ばかりですね。何でこんな事に必死になってたんだろ。
いやはや、小学校時代というのは愉快な時代ですなあ。わはは。
皆さんの小学校時代にも上にあげたように、別段どうでもいい、全くくだらない事柄に対して、やたら必死に争うって事、経験あるんじゃないでしょうか?