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ひよこに関するちょっとした思い出

 

2001年11月11日

さて、久々のエッセイです。
今回は私のひよこに関するちょっとした思い出の話です。
どちらかといえばつまらん内容かもしれません。


ほとんどの人は人生で一度くらいはペット(もしくは生き物)を飼った事があると思います。
もちろん、私も今までに何度かペットを飼ったことがあります。
ざっと覚えているだけでも、犬、カブト虫、金魚、鳥、カニ、オタマジャクシ、ヤドカリ、などですか。
もっとも、犬だけは私個人ではなく家で飼っていたものなんですけど。
そんなペット達の中でも特に思い入れのあったモノといえば、それはひよこでした。

十数年前、私が小学生だった頃(歳がバレるな…)、マンション住まいだったにもかかわらず、私の家では一匹のひよこ、いわゆるニワトリの子供を飼っていました。
というのも、元々このヒヨコはペットショップで購入したものではなく、とある縁日の屋台での『ひよこ釣り』にて手に入れたものだったんですね。
『ひよこ釣り』とは金魚すくいと似たようなもので、薄い紙やコーンカップで出来たスプーンを使ってすくう金魚使いに対し、こちらは糸にくくりつけたうどんの切れはしを使ってひよこを釣るというやつでした。
あれ以来ひよこ釣りというのは全然見なくなりましたが、今でもまだ存在するんでしょうかね?
話がそれましたが、とにかくそういういきさつでひよこを手に入れたわけです。

ではなぜこのひよこが私にとって特別印象的なペットだったのかというと、それは、このひよこが、私が結構よく面倒を見たペットであり、また雛から大人になるまでずっと飼い続けていたペットだったからです。
実は、上であげたひよこ釣りですが、最初、ひよこは合計で14匹もいたんですよね。
ちなみになぜ14匹も手に入れたのかというと、若気の至りというヤツです。
普通、子供というのはこの手の珍しいものがあると熱中するもので、私の場合も同様でした。 そんなわけですから、ものめずらしさ絶大だったこのひよこ釣りには、かなり熱中してしまいました。 当然おこずかいを使ったり、親にお金をねだったりなどもよくしたものです。
そして最終的には、14匹ものひよこを手に入れてしまったというわけです。

でも、所詮は子供がその場のノリで手に入れた14匹のひよこ。
まともに世話など出来るはずもありませんでした。
家に飼育用のゲージや鳥カゴなどは無く、14匹のひよこ達は、新聞紙を敷き詰めた大きめの買い物カゴの中で暮らす事になりました。
しかし、いくら買い物カゴが大きかったといっても、そこに14匹ものひよこ達が一度に暮らすにはいささか狭すぎました。
また飼育の面でも、エサは何を与えればいいのか、水はどれくらいの頻度で交換すればいいのか、衛生面ではどのように気をつけなければならないのか、温度はどれくらいが適温なのか、など、この手の生き物を飼育するには全然知らない事が多すぎて、ほとんど手探り状態で飼っていました。
そんなわけですから、当のひよこ達にとってもこのような環境は厳しかったようです。
数日後には数匹が死亡、1週間経つと更に数匹が死亡、10日経つと残りのほとんどが死亡と、日数の経過と共にひよこの数は減っていく一方でした。
衰弱し、自力で立つ事すら出来なくなったひよこや、自力でエサを食べる事すら出来なくなったひよこなどは、見ていてとても辛かったです。
そして悲しきかな、最終的にはたったの一匹しか生き残りませんでした。

しかし!
この生き残った一匹は、他の仲間13匹が全て死んでしまうような劣悪なる環境を唯一生き延びただけあって、生半可な苦境には屈しないという、かなりタフなヤツでした。
実際、こいつは大人になるまでずっと生き続けたんですよね。 私のような素人の飼育によって。
あの13匹のひよこ達が全て死んでしまった後、とりあえずどこからか鳥カゴを調達し、この一匹は買い物カゴからそこに引越しする事になりました。
余談ですが、鳥カゴといえば上半分が巣と枝を模した空間になっているため、結構な高さがあるものですが、しかし私の飼っていたのはひよこ。 上の空間が無駄なことこの上なかったです(笑)
まあそんなわけで、このひよこは鳥カゴの中で普通の鳥のように生活する事になりました。
ちなみにこの時は、以前よりも気をつけて飼っていました。 水をこまめに交換したり、えさを毎日少量ずつ与えたり、貝殻でカルシウムを摂取させたりなども行っていました。
当時、私は結構エサをあげるのが面白くて、学校から帰ってくるとまずこの鳥にエサをあげたり水をあげたりするのが習慣になっていたんですよね。

そんなこんなで月日は流れ、この屈強な一匹のひよこも、ほとんどニワトリといえるほどにまで大きく成長しました。
当時、ここまで育てられるとは夢にも思いませんでした。 マンションで、それも小さな鳥カゴの中で飼われているひよこが、まさか赤いトサカが出るほどまで成長するとは。
そんなわけですから、ひよこの頃は広い空間だった鳥カゴも、ニワトリ直前にまでなったこいつには狭すぎて、人間でいうなら三畳一間状態で、うろうろする事すら出来ないほど狭苦しくなってしまいました。
このため、当時、子供だった私はまだそれほど深刻には考えてなかったのですが、わたしの母はこれからこのニワトリをどうすればいいかと結構真剣に考えていたようです。

そんなある日、私がマンションの入り口でサッカーボールを蹴って遊んでいると、私の通っている小学校の用務のおじさんが2人、車でやってきました。 なんでも、私のところを尋ねてきたんだとか。
学校の人がうちに尋ねてくるのは珍しいことで、何かあったのかな?と思いつつも、私はそれ以上考えずそのままマンションの入り口でボールを蹴って遊んでいました。
しばらくして、用務のおじさん達は用事が済んだのか、私に挨拶をして車に乗って帰っていきました。 その時、彼らは私のうちで飼っていたニワトリの入った鳥カゴを持っていました。
後で家に帰って母に聞くと、このマンションであれ以上あのニワトリを飼い続けるのは無理だから、学校に相談して引き取ってもらった、との事でした。
今だからいえますが、しょうがない事とはいえ、さすがにあれほど長い事飼い続けてきたひよこが突然いなくなるというのは、結構さみしかったものです。
あの後、あのニワトリは一体どうなってしまったのか、結局知る事はありませんでした。
学校の人に引き取ってもらったとはいいましたが、しかしその後学校でニワトリを飼ったという話は一切なく、結局誰の手に渡ったのかという事すらわからないままとなってしまいました。
あのニワトリは誰かが引き取って引き続き育ててくれたのか……?
それとも、引き取られた直後にすぐさまどこかで焼き鳥になってしまったのか……?
あれ以来、テレビや本などでひよこを見るたびに、『あの時飼ってたひよこは、結局どうなったんだろうなあ』としばしば思い出してしまいます。
ある意味、私の人生においてのちょっとした心残りの1つ、ともいえます。


ところで、ひよこをニワトリになるまで育てる、それも縁日で手に入れた雛を大人になるまで育てるというのは、珍しい事なんでしょうか?
それとも、ペットの世界ではよくある出来事なのかな?