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運動会の思い出

 

2002年4月23日

小学、中学、高校通して行われる大規模なイベントといえば、運動会
これを読んでいる学生のあなたも、学生ではないあなたも、1度は運動会を経験しているはずです。
もちろん、私もその中の1人です。
運動会は本当に面白いものであり、楽しい行事でした。
今回は、そんな私の運動会に関する思い出の中でも、特に印象深かった事柄を、いくつか語ってみようかと思います。
中には、他ではあまり聞かれないようなちょっと変わったのもある…カナ?


 小学校編
私の通っていた学校の運動会は、小中高校通していえる事なんですけど、運動競技をする大会というよりも、運動競技を通して行う祭り、という宴会色が強かったですね。
もちろん競技もやりますが、しかしその結果はあまり重要ではなく、そんな競技のワイワイした雰囲気を楽しむ、という傾向でした。 いわゆる、『運動会』ではなく『体育祭』というやつですね。
だから学生達の競技だけではなく、父兄達が参加する競技もいくつかありましたし、また時には学生たちと父兄達が対抗もしくは協力して行う競技などもありました。
中でも代表的なのは、綱引きですか。
学生VS父兄はもちろんやりましたし、父親チームVS母親チームという対決などもありました。 しかも母親チームが勝つ事もあったりして、さすがおばさんパワーは違うなあ、と感じたものです。
そんなお祭り騒ぎ的雰囲気の運動会なので、当然観客席では酒盛りなども行われてました。
特に昼飯時が過ぎてからはすっかり出来あがってしまう客席もあり、もはや運動会なのか宴会なのか分からない状態になる事もしばしば。
たまーに酔っ払った親が息子の競技に乱入するという事もあったりして、まさにバーリ・トゥードな笑えるお祭り運動会でした。
他にも、学生達による古風なダンスなどもありました。

小学校時代の運動会で今でも忘れられないのが、やっぱ組み体操ですね。
これはやる学校とやらない学校があるようですが、私の所は毎年の恒例となっており、全学生が必ずみんな揃ってやっていました。 もちろん、1ヶ月半程かけて一生懸命練習するのはお約束。
ちなみに小学校当時、私は背が高く体もデカい方だったので、この手の組み体操では100%土台ばかりさせられていました。
例えば3段ピラミッドでは一番下、肩車では必ず担ぐ方など。
当時、一度でいいからピラミッドの上や肩車の上をやってみたいなあ、何度も思ったものです。 ま、この願いは結局中学、高校になっても実現しませんでしたが。

小学校時代の運動会の思い出で一番印象深く、そして最も忘れられないのが、障害物競走
いや、悪い意味での忘れられない思い出というべきかな。
私の小学校の高学年男子の障害物競走では、『壁越え』という障害物がありました。
大きさとしては大体2メートルちょいの高さの壁で、それを乗り越えるというものです。
まあコツさえつかんでしまえば、ほとんど誰でも越えられるような障害物でした。
しかし、小学4年生の頃の私は、正直に言うと軽肥満体、言い替えるとけっこうデブな体格だったわけです。
そんなわけですから、4年生当時の私には、あの壁を自力で越える事が出来ませんでした。
で、私の学年であの壁を越えられなかったのは、私ともう1人の太った同級生の2人のみ。
結局、その時近くにいた父兄の人に後押ししてもらって、何とか越える事が出来ました。
その時は必死だったので特に意識しなかったのですが、後で家に帰って親父からさんざんそれについて言われてしまい、かなり恥ずかしかったです。
まあでも、小学校5年と6年の時は、体も成長し、ダイエットもしてまともな体格になったので、十分自力で壁を越える事が出来ました。
しかしながら、その小学校4年の時のことは、いまだに忘れる事が出来ません。
いや、もちろんその当時の恥ずかしい記憶が忘れたいけどいまだに残ってしまっているというのもあります。
が、しかしそれ以上に忘れる事が出来ない理由は、私の親父が酒や宴会の席(もちろん私も同席している時)で、『そういえば、運動会ではお前ともう一人の太った子だけが壁を越えられなかった云々〜〜』と、この話題をかなりの高確率で持ち出してくるからです。
そのおかげで、私の中では忘却の彼方に抹消されたはずのイヤな思い出が、再び脳裏に浮かび上がって来、そしてそれが人前にさらされ、めいっぱい恥ずかしい思いをする事になるのです。
『人が忘れたがっている思い出を、なぜそんなにほじくり返すんじゃ〜っっ!!』と、その話が持ち上がる度にこの感情で一杯になります。
まあ、親からすれば良い思い出であり、当時はそんな情けなかった自分の息子が、今ではこんなにたくましくしっかりと成長したんだなとい事を言いたいというのは分かるのですが……。
でも、当の本人としては……ねえ……。


 中学校編
中学校の運動会も、相変わらずどんちゃん騒ぎな宴会的体育祭りでした。
しかも小学校よりも学校の規模が大きく、また私の中学は高校と隣接している(いわゆるエスカレーター式)学校だったので、かなり大規模な運動会となっていました。
そんな中で思い出深いのが、やはり組み体操ですね。
私の代には結構趣向を凝らしたものをやりました。
棒を使った組み体操はやったし、2組の旗を使った組体操もやりました。
中でも結構好評だったのが、棒と旗を合わせた組み体操。
空洞になった棒の中にくるんだ旗を仕込んでおき、前半は棒を使った組体操をします。
そして、中盤に差し掛かる頃に全員がそれぞれの棒の中に仕込まれている旗を『バッ!』と取り出し、そこからは旗を使った組体操に。
遠目から見ている観客の父兄たちは、まさか棒の中に旗が仕込まれているとは思わないものだから、これにはさすがに驚いたみたいで、かなり拍手喝采で大好評した。
アンケートでも、今までにない斬新な演出で良かったと、とみな言っていたみたいです。

組み体操のクライマックスにやる、人間4重の塔もいい思い出です。
上では語っていませんが、実は私の小学校では、組み体操で人間3重の塔をやりました。
つまり、中学ではそれを4重と、1段増えた塔を作ったわけです。
一番下の段に8人が円陣を作り座り込み、その8人の肩の上に4人が乗って座り込み、更にその上に2人が乗って座り込み、そして最後に最上段に一人が乗って座り込む。
その後、掛け声と共に最下段がゆっくりと立ち上がり、次に2段目が、そして3段目が、最後に一番上の一人が立ち上がる。 そして最上段の学生がその年の学校のスローガンが書かれた垂れ幕を広げる。
実はこの4重の塔、私の学校の運動会における中学の部のメインとも言えるもので、組み体操のクライマックスでは毎年必ず行う伝統なんですよね。
もちろん、人間が縦に4人も重なるというのは決して安全な行為ではなく、ともすれば非常に危険なものなので、それなりに下準備も行います。
運動会当日の2日前には必ず4重の塔を本番と同じように成功させなければならない、という決まりもあります。 当然、その時までに成功出来なければ、その年の4重の塔は中止となります。
なので、みんなけっこう真剣にやります。
まあ、実際には4重の塔はそこまで難しいものではなく、毎年必ず当日の数日前に成功させているので、それほど心配する事はないんですけどね。
実際、私の代でやった4重の塔も、少し人員を選択して数えるほどの練習でけっこうあっさりと実現できました。
まあでも、やはりメインといわれるだけあり、成功するとなんだかんだ言いつつもとてもうれしいものでした。 他の学生や観客の父兄たちからの大拍手もありましたし。


 高校編
高校はさすがに学生生活最後の運動会とも言えるものだったので、皆今まで以上に運動会を一生懸命盛り上げようとしていたものです。
そんな中、わけのわからない方向に盛り上がっていったと思えるのが、『コブラ隊』なる(自虐的)ギャグ集団。
運動会の前日もしくは2日前になると、全校生が運動場に集まり、運動部の委員長(いわゆる運動会を取り仕切る学生達のリーダー)の元、赤軍と青軍別に皆が円陣を組み、『運動会を必ず成功させよう!』や『皆一生懸命やろう!』、『これまでの練習を無駄にしないようにがんばろう!』といった類の励ましの言葉や号令を一人ずつ円陣の真ん中に出て投げ合うわけです。
で、そこで不思議なのかそれとも関西だからなのか、必ずお笑い要素や1発ギャグをやる者も多々現れるのです。
まあ、それだけなら面白いの一言ですむものなのですが、しかし変だったのは、その中に奇妙なギャグをやるお笑い軍団として『コブラ隊』なるものが伝統的に存在していたという事です。
この『コブラ隊』は、変な格好をして変な叫びをあげて変な踊りをしたり変なパフォーマンスをしたりなど、ギャグで笑わせるというよりどう見ても外見の可笑しさで笑いをとるというものでした。
それもそのはず、この『コブラ隊』という軍団は、自ら進んでやるものではなく、3年の先輩達の命令により1、2年の後輩達が強制的にさせられているものだったからです。
で、そんな先輩達の命により、その選ばれた十人前後の学生達は、全校生徒の前でパンストを履きながら踊る、パンストをかぶりながら踊る、下着姿で踊る、わけのわからないアクションを披露する、不気味な化粧を披露する、奇妙な叫び声をあげる、奇妙な踊りを踊る、などをさせられるハメに。
私は幸運にも選ばれた事がないのですが、しかし、それにしてもこれってホント、悪い意味での伝統ですな。
当時は見ててそれなりに笑えたものですが、でも今冷静に考えてみると、かなりムチャでひどい事をしていたんだなーと思いますね。
おそらく、自分達もやらされたんだから、後輩たちにも必ずさせなくてはいけない!という感じで、この『コブラ隊』は代々続いていたんでしょう。
これが『若気の至り』ってヤツというべきですか。


運動会で影の活躍者といえるのが、準備係の裏方さん
いわゆる、競技用の物を運んだり片付けたりなどの、力仕事をする人達です。
私は高校時代、3年連続でその裏方さんに選ばれてました。
なぜって、この裏方さんは毎年、柔道部全員(と他数人)がやることになっていたからであり、そして私は柔道部だったから。
柔道部=力がある=力仕事に向いている=物を運ぶ裏方さんに適している
という理論でこの裏方さんの選抜は成り立っていたという事ですね。
うーん、なんて安直な(笑)

高校時代と中学時代の運動会で忘れられないのが、クラブ(部活)別の行進
私の学校では、父兄たちに学校のクラブ紹介するおちうのも兼ねてか、運動会のプログラムの一つに、学内の全てのクラブ(ほとんどが運動部)が全員集合して、運動場を一周行進するというものがあります。
で、行進が行われている時に、それぞれのクラブの紹介や大会での実績が発表される、と。
もちろん、このクラブ別の行進をする時には、皆それぞれ自分のクラブらしさを演出する為、各々のユニフォームを来て行進します。
つまり、サッカー部だったらサッカーのユニフォームを、ラグビー部だったらラグビーのユニフォームを、卓球部だったら卓球のユニフォームを、美術部だったら学生服を、という具合。
もちろん、私の所属していた柔道部も、柔道着でグラウンドを一周行進しました。
ちなみに足は柔道部なので、ハダシ。
石ころがゴロゴロしている運動場をハダシで行進するのはけっこうキツかったです。
そして全クラブの行進が終了すると、オマケでクラブ対抗のリレー競争があります。
もちろん、ユニフォームを着たままであり、当然私の部も柔道着を着たまま走りました。
当然ハダシで。
素足で石ころだらけの運動場を全力で走るのは、カナりキツイし痛い。
それに、いくら全力で走った所で、所詮は柔道部。
重い柔道着を着ている上に素足。 そんなので走りが本業のサッカー部やラグビー部などに勝てるわけがありません。
なので、柔道部ではハナっから上位をとる事などあきらめていて、遅いなりに毎年パフォーマンス性を重要視する事にしてました。
例えば走っている途中で数人の柔道部が前を遮るので、そいつを次々に投げていくという。 もちろん、地面に直接投げるのはさすがにヤバイので、そこでは床運動用のマットをあらかじめ敷いておきます。
たまに反撃して投げられたり、ブレンバスターや2人バックドロップといった魅せるプロレス技などを使ってウケを狙ったりもしましたね。

高校時代の運動会で絶対に忘れられない思い出といえば、なんといっても組み体操です。
小学、中学と何度も組み体操の話ばかりしているようですが、それもそのはず、私の行っていた学校では、組み体操は運動会のメインイベントの一つとして用意されているものであり、学生達はその組み体操を1ヶ月、早いときは1ヶ月半も前から練習します。
それだけ、その場のノリでこなされる競争よりも一生懸命になるものであり、また思い出としても鮮明に記憶に残るものなのです。
高校時代の組み体操は、さすがに小学、中学とは違い、体格や体力もかなり出来あがっている学生達が行うものなので、よりすごくて迫力あるものが出来ます。
覚えているものとしては、3段肩車、立ってる人の肩に人を立たせる、7段ピラミッド、立っている人間の肩の上で3段ピラミッド、人間3重の塔の頂上からダイビング、そしてそのダイビングした人間を繋いだ腕で受けとめる、シーソーの如く人間を180度ブンブン垂直に振り回す、など。
なお、私はその大きな体格から、当然この手の組み体操では必ず土台の役割ばかり担わされていたという事をここに付け足しておきます。
ちなみに私の代ではやりませんでしたが、私よりも何年か上の先輩の代では、出初め式よろしく、はしごを使った組み体操をやっていたらしいです。
ただ、競技の練習の途中に1人の学生が転落して死にかけるほどの大怪我を負ってしまい、それ以来さすがにハシゴを使った組み体操は中止になったみたいですが。

さて、組み体操全般も十分いい思い出ですが、しかしそれ以上に忘れられない印象深い思い出が、組み体操クライマックス時に行う、人間5重の塔
そう、中学校編で語った人間4重の塔を、更に1段多くした、人間による5重の塔です。
はっきりいって、これは高校の思い出を語る上では絶対に外せないものの一つです。
それくらい苦労したものですし、また成功した時の喜びも計り知れないものでした。
人によっては、『なーんだ、たった一段増えただけじゃん。 中学時代に4重の塔を簡単に出来たのなら、5重の塔もそんなに難しくないんじゃないの?』という人もいるでしょうが、そこは素人の浅はかさ。
上でも書きましたが、確かに人間4重の塔はそれほど難しくありませんでした。
なぜなら、中学生という事もあってか、学生達の体格は高校生に比べてそれほど大きくはなかったし、またその為体重も比較的少なく、体格的に4重の塔までは実現するのはそれほど難しくなかったのです。 実際、私の代でも結構あっさりと4重の塔をやってのけましたし。
ただしかし、これが5重の塔になると、とたんに難易度は各段に跳ねあがるのです。
たった一段と侮る事なかれ。
例えば、人間を1人肩車するのは大抵誰でも出来るでしょう。 しかし、2人肩車出来る人はそう多くありません。 3人肩車出来る人など、よほど力に自信のある人以外はまず出来ないでしょう。
たった一段増えただけですが、それだけで出来る出来ないの落差はかなりのものになるのです。
また、人間が5人も連なって立ち上がると、最上段の者は校舎の二階よりも高い位置という、非常に危険な場所に立つ事になります。
ちょっと足を踏み外すと転落し、そして怪我は避けられない事でしょう。
事実、私の何代か前の先輩達の中には、5重の塔から転落して瀕死の重傷を負ったものもいたらしいです。
つまり、それくらい人間5重の塔は4重の塔よりも危険で難しいといえるのです。
したがって、その道のりは決してたやすくはありませんでした。
まず難関だったのが、一番下の人間の組み方でした。
人間5重の塔では、一番下の段は16人の学生で作られます。 ちなみに私も当然の如く、この最下段の役でした。
問題なのは、16人が肩を組んで最下段の塔を作るとき、出来る限りその輪を小さくしなければならないという事でした。
それもそのはず、16人の上に乗るのは8人であり、そしてその上には4人…と、上の段になる毎に輪の直径は約半分になるわけです。
そのため下の段があまりに輪を広げすぎると、上の段の人間達は踏ん張りが利かなくなり、その結果、塔が作れないし、仮に出来たとしても立ち上がる途中で崩れるのは必至です。
したがって、一番下の段はほとんど片身の体勢で肩を組み合いつつ輪を作っていました。
しかし、これがなかなかうまくいかない。
なぜなら、その上に4重もの塔をつくらなければならず、そのためあまりに輪を縮めすぎるとバランスが取れなくなり、立ち上がる事が出来なくなるのです。
このちぢめ具合を調節する事と立ち上がれる体勢を取ることの折り合いがなかなか難しく、人を変えたり、場所を変えたり、体勢を変えたりなど、この時点で相当に紆余曲折を行っていました。
で、何とか最下段の体勢が整うと、今度は2段目。
2段目も当然難解でした。
なぜって、4重の塔を人間の肩の上という不安定な場所で作らなければならないのですから。
私は最下段だったので2段目の苦労というのは実際に経験した事がないのですが、しかし相当苦心していたのは確かです。
で、ようやく2段目が終わると、今度は3段目。
3段目で終わると、次は4段目。
そして最後に最上段の1人が上ります。
ここではけっこう簡単に説明していますが、しかし文章では現せないくらい、それは難しいものでした。
2段目、3段目と出来あがる毎に上へ上るのが難しくなるし、土台の者はそのたびにズシッと重量が加算されて負担が増えていく。 しかもそれを支えてつつバランスを崩さずに立ち上がらなければならない。
途中、塔を作っている時に崩れたり、立ちあがる瞬間にバランスが崩れて崩壊したりなどはしょっちゅうでした。 上から落ちて怪我しそうになったり、実際に怪我をする学生などもいました。
でも、止めるわけにはいきませんでした。
運動会の組み体操ではこの人間5重の塔を完成させるというのが、この塔を実現した初代の先輩達から毎年継がれている私の学校の伝統であり、またその名誉ある伝統を私達の代で終わらせたくない、という意地みたいなものがあったんでしょう。
みな必至で考え、練習し、崩れては作り直し、崩れては作り直しを繰り返していきました。
4重の塔の所でも説明しましたが、この5重の塔も当日の1〜2日前に必ず成功させなければ、当日の5重の塔は中止になるという決まりがありました。
しかし、私達は当日の3日前にこれを完成させました。
最下段が立ち上がり、2段目が立ち上がり、3段目が立ち上がり、4段目が立ち上がり、最上段が立ち上がり、そして今年のスローガンの垂れ幕を見事に広げる事が出来たのです。
見ている学生達の間から、拍手が起こりました。
そこから更に練習して、組み体操の流れの中でしっかりと組み立て上げ、ついには立ちあがった後から全段が最後まで座り込む所まで成功させたのです。
私を含む、5重の塔を作り上げた連中は『オッシャーッ!』とガッツポーズを上げ、私も同じ気分でした。
そして、当日。
練習した通りに組み体操を行い、全てがうまくいきました。
そしていよいよクライマックスである人間5重の塔。
吹奏学部が演奏する勇ましい音楽の中、私達は気合を入れて塔を作りました。
立ちあがる時、リーダー格の同級生が『オーシッ!これで最後や、気合入れていくぞっ!!』と皆にはっぱをかけ、皆は『オオッ!!』と呼応しました。
私達の肩の上に人が次々と乗り上がり、最上段の者が『いいぞ!』といいました。
『セーノ、1,2,3〜!!』と気合を入れながらも、慎重かつゆっくりと最下段の私達は立ち上がりました。
そして立ち上がると、今度は2段目。
3段目。
4段目。
そして、最上段。
塔の内側を向いている私達最下段には見えませんでしたが、どうやら垂れ幕を広げるのに成功したようです。
この運動会で最も大きな拍手喝采が起こりました。 それと同時に、観客達と他の学生達による盛大な歓声も巻き起こりました。
そんな歓声の最中、塔を組み上げている私達は『まだや、全員が座り込むまで完成とはいえん。気を抜くな!』と、一時も気を抜かずに塔を下ろし始めました。
全員が座り込み、一番上から順に塔が解体されていきました。
そして全員が規則正しく並び、列にそって退場門から小走り並んでに退場。
終わった時、みなは手を叩き合い、抱き合い、ガッツポーズを取り合い、全員が歓びの声を上げました。
そんな人間5重の塔にまつわる体験は、私にとって決して消える事のない、永遠に心に残る思い出です。
…と、なんか5重の塔の部分だけ、途中から一人称の物語形式で進んでいるような気がしますが、あまり気にしないように(笑)
まあ、それくらい、この人間五重の塔は私にとっては印象深いものだったということです。
ちなみに卒業以来母校には行ってないので直接聞いた事ではないんですけど、話によると、今でも人間5重の塔は伝統として毎年で作られているんだとか。
私が味わったのと同じ思いが、代を重ねてずっと続いているということですね。
こういうのってホント、自分で言うのもなんですが、いいもんだと思いますねえ。


 大学編
さて、大学で運動会をするというのもちょっと変ですが、私の大学ではしっかりと毎年行っていました。
といってもその形式は既存のものとは少々異なり、赤軍と青軍の二手に分かれて行うというものではなく、各学部対抗別、という形式で行われていました。
私の大学には当時、全部で8つの学部が存在していたので、言うなれば8学部別対抗戦みたいなものですか。
もっとも、学部毎にかなり人員のばらつきがあるので、ほとんどの場合最も人数と運動部員の多い学部である、政治経済学部と経営学部と歴史地理学部の3学部が、毎回トップ争いしていたものですが。 ちなみに私は政治経済学部。
面白いのは、私の大学においては、学生達は各々の学部に対するプライドがやけに高く、その為運動会では各学部の対抗心をムキだし状態にしてるという事ですか。
さすがに相手チームに対して罵声や野次を飛ばすなんてことははありませんでしたが、応援などは相当にすごく、前述したトップの3学部が接戦している時などは、みんな血管が切れそうなくらい応援しまくりの興奮しまくり
中には、あまりに声を出しすぎて、運動会が終わる頃には声が枯れてしまう者もよくいました。 ちなみに私もちょっと声枯れました。
小学、中学、高校のような組み体操や父兄たちの参観こそありませんでしたが、しかし大学の運動会は別の意味でとても楽しく、記憶に残るものでしたね。
中でも特に印象深いのが、ピヨピヨゲーム、綱引き、棒倒し、終わった後の打ち上げです。

ピヨピヨゲーム』は、元々正式な名前なんてない競技だったんですが、誰が言ったか『ピヨピヨゲーム』なる名前がいつのまにか定着してたんですよね。
ピヨピヨゲームのルールは、酒やジュースのボトルを収納する小さなプラスチック製のケースを4つ、正方形型に並べ、その上に1度に何人乗れるかというのを競う競技です。
文字通り、ピヨピヨなヤツら、すなわち痩せてて細い体格の者のための競技というわけですね。
プラスチック製のケースは意外に小さく、面積はおおよそ一辺50センチ前後の正方形ですか。 それを4つに並べるわけですから、総面積は約1平方メートルとなり、その上に人間が次々と乗り上げます。
ゴツイ体格の私はこの競技に参加しなかったので細かい所はよく分からないのですが、外側には背が高く腕の長い者が乗り、内側には背の低い者が乗るようにすると、通常よりも多く乗せる事が出来るらしいです。
で、最終的に補助無しで数秒間を持ちこたえなければならないのですが、これがなかなかにハイレベル。
最も多いのになると、たった1平方メートルの面積の上に、27人近く乗り上げていました。 スゲェ!
運動会といえば運動神経のいい人物、もしくは体育会系の人物達の独壇場といった感じが強いものですが、なんのなんの、私の学校では、このようにピヨピヨな人達にも十分活躍の場が与えられていたのです!
痩せてる人達のみが大集合し、『オッシ!この競技がんばろう!』とピヨピヨゲームの開始直前に気合いを入れている様は、他の運動会ではあまり見られないちょっと変わった光景ですね。

さて、私の大学の運動会でのメインとも言える競技の一つに、綱引きがあります。
前述したように、私の大学での運動会は、お互いの学部に対するライバル的意識がかなり強く、ある意味、この運動会は己の学部のプライドを賭けて戦うド迫力なイベントでした。
そんなわけですから、団結力とコンビネーションプレイが勝負を決するこの手の団体競技においての、各学生達の情熱のかけようはそりゃあもうものすごいものでした。
で、綱引き。
私も3年と4年の時に出場したのですが、いやーこれは凄かったです。
何が凄いって、綱引きにかける、学生達の研究具合と熱心さが。
おそらく、正式な大会でもない、たかだか1大学内の運動会の綱引きにおいて、これほど勝利のために熱心に練習し、研究しまくっている普通の大学生達なんて、防衛大などその手の学校以外では、ほとんど見られないでしょう。
まず、綱引きに出場する学生達は、当日の3週間前から、毎晩綱引きの練習します。
この時期の私の大学は、朝は授業、昼は運動会の練習と準備、夕方は勉強と夕食というスケジュールとなっており、全員が集まれる空き時間は夜しかないため、必然的に夜から深夜に賭けての練習になるのですが、そんな時間でも全員一生懸命真剣に練習するわけです。
もちろん、人員も柔道部やラグビー部といった力のある部員や体が大きく力の強い学生を選抜し、右利きと左利きの考慮、後方は重心がかかりやすいように体重の重いものを主に配置し前方は体重が軽めのものを配置など、戦略上重要な気配りも熱心に研究します。
更にその上、綱の引き方も相手によっていくつかの種類がありました。
しっかりと座り込んで後方うさぎ跳びの要領で1回ずつ引っ張るじっくり型戦法の『ロケット』、それをスタート直後のみに1回だけ行う『開幕ロケット』、消防隊のレスキューよろしく中腰体勢でずんずん引っ張る短期決戦型戦法の『レスキュー』、ひたすら耐えて相手のスタミナを消耗させる忍耐型戦法の『座り込み』など。
『ロケット』はタイミングが重要でしかも地面の具合によってやり易さが変わる、『開幕ロケット』は上手く引っ張れないと逆に手痛い反撃を受ける、『レスキュー』は攻撃力絶大だが長期戦には向かずまたタイミング取りが最も難しい、『座り込み』はこちらから引っ張る事が出来ない、など、どれも一長一短で使い分けが非常に重要でした。
そんな綱引きの勝利の方程式研究を、運動会前には毎晩行うワケです。
ちなみに出場者は30人で、練習時には同学部の綱引きに出場しない人達の協力よるシミュレーションを行い、最終的には出場者30人vs協力者50人という図式で対決し、勝利していました。
で、当日の実践は当然練習よりも熾烈な戦いが繰り広げらます。
特に前述した歴史地理学部と経営学部との戦いは正に己の全てをかけた戦いとも言えるもので、ある年の決勝戦などは5分以上も勝負がつかずに戦い続けた、という事もありました。
あの時はさすがにキツかった。
全力で5分以上綱を引っ張り続けるんですよ!?
お互いの実力が拮抗しているので、一人でも休んだらとたんにズルズルと差が開く。 そのため、一瞬たりとも気が抜けない。
あの勝負の時は、そんじょそこらの試合よりも疲れましたよ。
まあ、そんな感じで全員が一生懸命だったわけです。
ちなみに結果は2年連続優勝でした。
なので、この練習をしている時は、『もしも大学別綱引き全国大会なんかあったら、うちの大学は結構いい所まで行くかもしれないなあ』とか思ったりもしたものです(でも、実際にそういう大会が本当にあったりして?)

続いて綱引きと双璧をなすほど全力で戦う競技、棒倒しです。
そう、二つのチームに分かれて、相手チームの棒を倒した方が勝ちという、あの棒倒しです。
当然私も3年、4年のときにこの棒倒しに出場したのですが、これまた綱引き同様に学生達の熱心過ぎるくらい熱心な研究具合が凄くて、相当面白かったです。 大学生にもなって、勝つためにこれほど熱心に棒倒しの研究している連中は、おそらくここしかないのでは?
さて、私の大学は体育会系のノリであり、当然体育会系の連中がゴロゴロしています。 そんな連中が、棒倒しに全力をかけるので、ド迫力です。
当然、戦略もみな真剣に検討します。
例えばサッカー部はフットワークが軽いので主に攻撃面を担当し、ラグビー部はタックルで相手を倒すのに優れているから主にディフェンスを担当します。
太っててデカい男は棒本体の根元に座り込んで棒を死守する役割、別名『アンコ』を担当してました。
私はそのアンコの上で、中腰状態で棒を押し守る『皮』の役でした。 ま、柔道部でゴツい体格だったので当然の配置だとも言えるんですが。
ちなみにその棒のすぐ傍に立ち、棒にしがみついた敵軍を引っぺがす役の男2人は『守護神』と呼ばれていました(笑)
まあそんなこんなで色々研究し、練習し、シミュレーション戦を行い、実践に備えるわけです。
もちろん、作戦やフォーメーションも色々あり、『先手必勝作戦』や『まずは死守して長期戦作戦』、『ゴキブリホイホイ作戦』、『クロスフォーメーション』などバリエーションも豊富。
人数の少ない学部の場合、必然的に大きな体格の選手を集める事が出来ないので、棒を守るのは一人だけにして、全員ディフェンスもしくは全員オフェンスという『1人1殺』的な作戦(ゴキブリホイホイ作戦)とフォーメーションを組む事もありました。
まあそんな感じで一生懸命熱心に練習を繰り返し、当日に備えるわけです。
私は3年の時も4年のときも『皮』の役だったのですが、もちろん、皮とアンコの為の『棒の上に敵が2人、3人が乗っかった時の練習』も数多く行いました。 私の体勢だと肩で棒を支えて腰で耐える形になるのですが、いやー、練習中は常に肩が痛くてたまらなかったですね。
で、当日。
結構あっさり勝つ時もあり、なかなか勝負がつかないときもありました。
長い時には、10分近く勝負がつかない事もありました。
まあ、勝負をやってるうちに何度か攻撃されて私の上にも乗っかられるわけですが、さすがに4人に乗っからて棒をブンブン振りまわされた時はキツかったですね。 肩と腰が壊れるかと思いました。
結果は、3年の時は優勝で、4年のときは準優勝でした。
ちなみに棒倒しに使われていた棒は、長さは約4メートルとそれほど長くはなかったのですが、直径は約25センチと結構太い棒で、意外に重かったです。
何度かその棒を使って『アンダーカバーコップス』というゲームのマネをしようとしたけど、さすがに重すぎてかつぐのが精一杯。 ブンブン片手で振り回す事などとても出来ませんでした(笑)
うーん、ゲームのキャラは凄いですな。
あ、ちなみにここで行われた棒倒し、もちろん殴ったり蹴ったりするのは反則でした。

運動会の終了後には、打ち上げが行われます。
運動会の次の休日に外出し、大体学部別で集まって飲み屋で飲み会をするのですが、まあこれは他の大学の飲み会とほとんど同じなので合えて語るまでもありません。
他の大学ではあまり(と言うか絶対に)見れない、私の大学ならではな運動会終了後の打ち上げと言えば、なんといっても『池パーティー』です。
池パーティーとは、文字通り池を使ったパーティーの事。
私の大学のキャンパス中央部には、大きさにしてワゴン車約6台分くらいの面積の小さな池がありました。
そして、その池には小さな噴水や魚などもいました。
もっとも、噴水は一切機能していませんでしたが。
池の周囲にはベンチや灰皿などが設置されており、ここは学生達のチョットした休憩所とも言うべき場所でした。
で、この池、どういういきさつからそうなったのかは皆目分からないのですが、いつしか、運動会で優勝した学部は、その日の池の使用権を得ると言う、わけのわからない伝統があったんですよね。
で、ここで言う使用権というのは、池にハマる事を意味します。
つまり、優勝した学部は、大学中央部に存在する池にハマってもいいという獲得するわけです。
優勝した学部の学生達は、他の疲れ果てた学部の学生達を尻目に、全員テンションMAX120%な状態で大声で叫びつつ池に学生達を投げ込みます。
もちろん、それは本人が承諾しようがしまいがお構いなしの、超強制で無理矢理に。
優勝した学部のリーダーはもちろんの事、活躍した学生、目立った学生などを、みな大はしゃぎで数人がかりで捕まえて池に投げ込みます。 もちろん、私も何度も放り込まれましたよ。
あまりにテンション高すぎるので、時にはワルのりして他の学部の学生を投げ込んだり、先生や教授を無理矢理投げ込んだりすることも。
時には、背広姿の人を投げ込んだりもします。
ヒデェ…。
これがいわゆる『池パーティー』というわけです。
冷静に考えても考えなくても、誰がいつからどういう意図でこのような伝統を作ったのか、そしてなぜ池にハマると言う行為が優勝した学部に与えられるというのが名誉となっているのか、考えても考えてもナゾなあたりが、私の大学らしいと言うかなんというか。
もっとも、学生達の伝統なんてそういうもんなんでしょうけど。
あ、ちなみに池はぬるぬるで汚いので、池パーティーの後は学生達は風呂に入るか、便所で水浴びをして体を洗います。


とまあ、懐かしい記憶でいっぱいなためか、えらく長いこと運動会の思い出を語ってしまいましたな。
ですが、やっぱ、運動会というのはいいもんだとつくづく思いますねえ。
私にとっては、運動会というのは忘れられない、懐かしく、かつすばらしい思い出で一杯です。
これを読んでいる皆さんの運動会はどうでした?