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私の大学はこんな所(実話)その2 −生活編−

 

2002年12月8日

以前のエッセイ『私の大学はこんなところ(実話)』において、私の大学『K大学』はどんな所かというのを紹介してみました。
そのエッセイを見てもわかるように、私の通っていた大学は他に比べてかなり特異な大学でして、他ではちょっと見られない奇妙な規則、変わった生活スタイル、おかしな決まり事などが盛り沢山だったものです。
しかしながら、前回の『私の大学はこんなところ(実話)』では、あくまで大学内の規則やルールに関するモノのみを簡潔に紹介しただけです。

そこで今回は、前回書ききれなかった部分を書き足すと同時に、主に実生活面におけるエピソードなどを主軸に据えて語ってみようかと思います。
かような大学の環境下において、学生達はどのように生活し、どのような暮らしをしていたのか。
ちなみに寮の詳細については、前回でも言ったように、K大学寮8番目の号館『8号館』を基準にして語っていきます。
なぜなら、私が4年間過ごしたのはほかならぬ8号館であり、他の号館についてはあまり知らないからです。
なので、他の号館では多少内容の差異があるかもしれないですね。

注:なお、前回も語ったように、私は大学の思い出話をあくまで懐かしみつつ楽しく語るのが目的であり、大学を貶めたりする目的で書いているわけではないので、この大学に関する名前や住所などの、大学のプライバシーを侵害する可能性のある情報は一切公表しません。
また、それらに関する質問などに答えることも出来ません。
したがって、掲示板で上記のような質問を書き込むのはご遠慮願います。
でも感想などを書き込むのは問題ありませんよ。
むしろ大歓迎なので、感想などはどしどし書いてほしいです。
また、これを読んでいる方の仲で、もしかしたらこの大学を知っている方がいるかもしれません。
が、そのような方も上記のような大学のプライバシーを侵害する旨の内容は掲示板では語らないようにお願いします。
私とこの大学に関する話をしたいのならば、メールでお願いします。
もしもこれら上記の主旨に反する類の文章が掲示板に書かれていた場合、残念ですが管理人の権限で削除するつもりです。
というわけで、読むのと感想を書くのは一向に構いませんが、上記の決まりは必ず守ってください。



 長期休みは短く、帰郷必須
学校には春、夏、冬に長期の休み期間があります。
もちろん、K大学にも長期の休みはあります。
しかし、他の大学に比べると、かなり短いです。
さすがに夏休みだけは1ヶ月半ほどあるのですが、しかし冬休みはたったの2週間、春休みもたったの2週間しかありません。
まるで中学、高校並。
まあ、それだけなら中学や高校の延長と考えれば済むのですが、しかし変わってるのは、K大学では、長期休み期間中は、学生達は半ば強制的に実家に帰らなければならない、言い替えると、学生達は寮を出なければならないという妙なシステムとなっているのです。
ちなみに半強制的といったのは、実際には強制的に帰る必要などはなく、寮に残りたければ残る事が出来るから。
しかしながら、休み期間中は大学内の全ての施設は閉鎖される事になるので、仮に寮に居残ったとしても、食事も、風呂も、シャワーも、売店も一切利用する事が出来ません(警備などで特例的に残る学生だけは、例外的に食事があてがわれる)
それに、以前のエッセイでも語ったように、寮内に娯楽施設は皆無であり、時間をつぶせるものなども一切なし。
勉強したくとも、図書館は閉鎖されている。
ついでにほぼ全ての学生が実家に帰ってしまうので、寮には誰もいないというおまけ付き。
つまるところ、寮に残ってても楽しい事など何も無く、寝る場所がただでつかえるという面以外は、一切何のメリットも無いのです。
利点が無い割に、食事代やら風呂代やらでいろいろ金ばかりが飛ぶ事になるので、したがって長期休み中に寮に残る事は可能であっても、誰も好き好んで居残ろうとはしないのです。
つまり、半強制的に寮を出るハメになるというわけですね。
全ての学生は在学中、有無を言わさず必ず入寮しなければならないという全寮制システムを取っているこのK大学ですが、しかし長期休み中はそれが完全に逆転して寮に滞在させないようにしているあたり、なんとも奇妙なシステムだと言えます。


 新幹線、夜行バス、飛行機、青春18キップで里帰り
さて、上で既に語ったように、K大学では長期休みの期間中、基本的にほぼ全ての学生達は実家に帰る事になります。
ちなみに言うのを忘れてましたが、K大学は地方の一大学であり、北は北海道から南は九州まで、全国各地から学生が集まってきます。
そんなわけですから、電車でチョチョイのチョイと簡単に実家に帰れる学生は全体の数割くらいしかおらず、大半の学生達は実家に帰ろうとするなら、ちょっとした小旅行並の長距離移動をしなければなりません。
しかし、一概に長距離移動といっても、いくつかの異なる手段があるものです。
 新幹線
K大学学生の里帰りで使われる、もっともポピュラーな移動手段です。
大半の地方出身のK大学生は、この新幹線を使っています。
学割も使えますしね
私も、大学1年目と2年目の頃は、実家に帰る時には主に新幹線を使っていました。
ま、普通すぎてとりたて語るものはありませんね。
 飛行機
金を持っている一部のブルジョアな学生(笑)と、北海道や九州といった遠方出身の学生は、飛行機を利用する事がありました。
移動手段としては一番早いけど、しかしチケットの値段がとにかく高いので、上記以外の理由で利用している学生はほとんどいませんでしたね。
かく言う私も、帰省で飛行機を利用した事はありません。
 夜行バス
新幹線よりちょっと安い移動手段。
私は、大学3年目と4年目には。いつも夜行バスを使っていました。
なぜなら、値段が新幹線に比べて安いというのと、夜中の寝ている間に一気に移動してしまえるので時間が無駄にならないという利点があったからです。
到着も早朝ですし。
実際、新幹線を使うとなると必ず昼間乗らなければならず、他の電車乗り換えにかかる時間なども合わせると、ほぼ半日近くを移動に費す事になるため、結局はその日一日、ほとんど移動するだけで終わってしまうというハメになります。 だから、夜行バスは私にとっては非常に有用な移動手段でした。
ただ、他の学生達にとってはあんまりポピュラーじゃなかったみたいで、なかなか使い勝手が良い割に、利用する学生達はそれほど多くありませんでした。
私など子でも寝れる性質なので全く気になりませんでしたが、バスの座席で夜を明かすのって、他の人にはけっこう辛いものだったのかな。
 青春18キップ
私はこれを使ったことないのですが、これはお金のない学生にとっては最終手段といわれている移動方法でした。
わずか数千円で買えるこのキップ、最初から金の無い学生、金をどうしても節約したい学生にとってはとてもありがたいものだったようです。
ただ、ムチャクチャ時間がかかる上に、乗り換えも多いため肉体的にも精神的にも相当ダルいようですが。
私の同級生の中には、帰る前にパチンコで大負けこいて新幹線代がなくなり、仕方なくこの青春18キップで帰るハメになったものもいましたね。
う〜ん、アホというか、若さゆえの愚かさというべきか…。


 週に一度の酒開放日、とにかく飲む飲む
前回のエッセイでも言いましたが、K大学では、大学構内はもちろんの事、寮内においても飲酒行為は一切禁止で、飲酒がばれると停学、謹慎が待っています。
ついでに言うと、平日の場合は外で飲酒するのも基本的に禁止となっています。
そんなキビシい禁酒生活を強いられるせいか、大々的に飲酒が出来る休みの日になると、みんな近場の居酒屋に行って、そりゃあもうスゴイくらい酒を飲みまくります。
それこそ、平日に飲めない分を飲み溜めしておこうかというような感じで、酒に対して執念でもあるかと思えるほどムチャ飲みする学生、日頃の恨みを晴らすかのごとく一気のみしまくる学生、(先輩などから)一気のみさせられる学生、飲み過ぎでベロンベロンに酔っ払う学生なども珍しくありませんでした。
実際、前回のエッセイでも言ったように、休日の夜の門限時間になると、大学のそこかしこで酔っ払いのうめき声やらわけのわからない叫び声が響き渡るのが、毎度おなじみK大学の名物光景となっているほどですから。
で、こんな光景が毎週日曜日(というか休日毎)に見られるわけですから、もちろん様々な事件やトラブルも起きます。
年末の忘年会シーズンになると盛り場で警察沙汰の事件が増加するように、K大学でも飲酒学生で溢れる休みの夕方から夜にかけてはトラブルが絶えません。
そんな中でもっともポピュラーなのが、ゲロ系のトラブル。
人間、大量に酒を飲んだり深酒したりすると、ゲロを吐いてしまう事がよくあります。
もちろん、1週間分を飲み溜めするつもりで休日にムリ飲みまくるK大学の学生においてこれが起きないはずはなく、休日の夜はそこかしこでゲロを吐く学生が続出します。
で、そんな時にやっちゃうとマズイのが、外で吐く行為。
大学内では飲酒禁止なので、学生達は必ず外で酒を飲んでくるのですが、しかしK大学の学生達はムチャ飲みが当たり前なので、外で吐く事も珍しくないです。
まあ、店の中の場合はポリ袋を借りたり便所で吐いたりする事が出来るのでまだマシなのですが、ヤバイのは店を出てから吐くヤツです。
おおよそK大学の近場で飲む学生によく見られるのですが、飲みすぎて大学まで耐えられず、そこらで吐いてしまうヤツらがあまりに多いのです。
道路はいうに及ばず、電柱の側、店の前、果ては全然知らない人の家の前で吐く事もしばしば。
酒飲み達が所構わずゲロゲロドヘドヘ吐くもんだから、K大学の周辺の住民から苦情が来る事も。
あんまりゲロ吐きがヒドいと、しまいにはK大学の方に『これ以上家の近辺で吐かれるのは耐えられないので、警察に通報するぞ』と近所の住民から警告の電話まで来る始末。
ヒデェ。
いや、K大学の学生のゲロ吐きのタチが。
さすがにここまで来ると、K大学内で緊急集会が開かれ、そこで全学生酒全面禁止例が下される事になります。
まあ、そんな禁止令が出てもこそっとほろ酔い程度に居酒屋で飲む学生がいましたし、それに酒禁止令もしばらくすれば『今後、注意するように』との警告とともに解除されるので、それほど深刻な状態ではないのですが。
しっかし……。
苦情を出すのみならず、警察に通報するぞと言われるほど近所の住民を怒らせてしまったり、それによって全学生に対して酒禁止令が出される大学なんて、ここ以外にないでしょう。
まさしく、全寮制だからこそ出来る制度。
ついでに、そんな苦情や条例が出るほどヒドくてタチの悪い悪酔いを毎週毎週毎度のように引きおこしているK大学の学生達も、ある意味スゴイといえますが(笑)
懲りないというべきか、学習能力がないというべきか、若気の至りと言うべきか、酒好きの度が過ぎてるというべきか……。
酒があまり好きではなくめったに酒を飲まない私には、酒飲みの気持ちというのはどうにも理解し難いです。

そうそう、ここで私自身の酒飲みに関するエピソードを一つ。
そのエピソードとは、階段ゲロ吐き事件。
いまだに記憶に残ってます。
ある休みの日、同学部の先輩に連れられて学校の近くの居酒屋で飲み会をし、案の定先輩方達に私は飲まされまくってグデグデのベロンベロンになってしまった夜。
私はその時点でかなりの泥酔状態でしたが、なんとか休日点呼に出席しました。
しかし、点呼が終わって階段を下っている途中、耐えきれずに階段の途中でブハァッと大ゲロ吐きをかましてしまいました。
しかもその時たまたま階段の下の方に他の学部の先輩(名前は知らない)がいたからたまらない。
もちろん、その先輩にちょっとばかりのゲロが降りかかる。
その先輩も相当に酔ってたらしく、私のゲロでブチ切れて近くにあった窓ガラスに思いきりパンチ!
当然窓ガラスはコナゴナ、おまけにその先輩の手も切れて血がダラダラ。
で、その後、私はその先輩に近くにあったベンチに呼びとめられ、子一時間ほどわけのわからない説教を喰らうハメに。
いや、確かにゲロをぶっかけた私が全面的に悪いのですが、しかしその先輩から喰らった説教はゲロとは全然関係ない事ばっかりなのがちょっと???な感じでした。
ついでにいうと、その先輩はガラスで切れた手で私を肩の辺りをベタベタ触っていたものだから、ようやく説教が終わった頃には私のジャケットの肩周辺が血で真っ赤っ赤のベトベト…。
いやはや、私にとってもその先輩にとっても、とにかく災難な日でした。
他に…何かあったかな……。
あ、そうそう、私じゃないのですが、私の同級生の中には悪酔いしすぎて自力で歩けず、他の同級生の肩を借りてようやく寮の自分のベッドに辿り着いて寝たものの、悪酔いが過ぎてベッドで『寝ゲロ』をかましてしまった、というヤツもいましたね。
しかもその寝ゲロと一緒にすやすや眠っているという。
もちろん、起きたらすごい事に……。
ちなみにそこからさらに発展すると、他の同級生のベッドに泥酔したまま間違えて寝入って、そいつに寝ゲロをぶちまけるというという悪い意味でツワモノなヤツもいました。
なんちゅーか、いやはや、すさまじいものでした。
食事中やなにかを食べながらこれを読んでいるかた、汚い話題ですみませんねえ。


 K大学の奇妙なコンパ
突然ですが、大学でやるコンパというと、どんなのを想像しますか?
おそらく、十中八九、居酒屋や誰かの家に数人から十数人の男女が集まって、ワイワイガヤガヤ交流を深めながら酒を飲みつつ雑談を交わし、時にはゲームなどをして有意義な時を過ごす、という行事をイメージするでしょう。
しかし、K大学におけるコンパは、一般のそれとは少しばかり、いや、大分か、いやいや、相当に違います。
K大学で言うコンパは正式名称を『号室コンパ』といい、内容は一つの号室内で、6〜8人で行う小規模な食事会を意味します。
いわゆる、友達同士が誰かの家に集まってする、簡易料理会とでもいいましょうか。
詳しく言うと、ホットプレートかガスコンロ&鍋、そして料理用の材料を色々用意して、自分達の号室内でウマいモノを作って食おうという催しの事です。
号室内で、勉強机である事務用机を4つくっつけて並べ、その机の上にビニールを敷き、それをテーブル代わりにする。
そして他の部屋や女子から借りてきたホットプレートやコンロ&鍋を真中に据え、みなそれを使って適当に料理をしてワイワイ食べます。
といっても、所詮は男の料理会、出来るものといえば簡易的な鍋物、お好み焼き、鉄板焼き、やきそば、焼き飯くらいですが。
この号室コンパ、冷静に考えるとへたくそで大しておいしくない料理(いわゆる、調味料や油やソースなどで味をごまかしている食い物)ばっかりだったような気もしますが、しかしご存知の通り、K大学では食事時間以外における食料の入手は非常に困難という状況のため、こんな野郎連中がその場のノリで適当に作った鉄板焼きや鍋物でも、かなりおいしく感じていたものです。
ちなみにこの号室コンパ、油で炒める時の香りや鍋の匂いなどがやたらに周囲に漂うので、他の号室の同級生達がそれにつられて『食い物くれ〜…』と難民さながらに号室にやたらに押しかけて来るというのがおなじみの光景でした。
そのため、号室コンパの時は、参加者以外の人は入れないように号室の鍵を閉めて行うという手段をとります。
しかしながら、号室コンパを開催している連中はいいのですが、他の連中にとっては食べ物の無い寮内で食べ物のいい匂いがする、だけど食えないということなので、もどかしいったらありゃしない状態。
腹が減っている者にとっては、ある意味拷問かも。
そんなわけだから、時には『てめぇら!いい匂い漂わせるんじゃねぇ!』と理不尽な逆ギレする事もあったりします(笑)
おっと、チト話がそれてしまいましたな。
さて、この号室コンパでの名物といえるのが、『開放』システム。
号室コンパをしたら、参加者である号室内の全員は一通り腹いっぱい食べる事になりますが、しかしこういう場合は基本的に材料をものすごく大量に買うので、よほどの事がない限り、材料がかなり余ってしまいます。
で、そんな時には号室の鍵を開け、『開放だぞ〜!』と外に向かって一声上げるのです。
この『開放』というのは、自分たちはもう十分食べたので、残った材料は食べたいやつが勝手に来て作って食え、といって他の号室の連中(同級生達)を呼んで食べさせる事です。
コンパ中はドアに鍵をかけて号室内の連中だけで食べるけど、しかし全員満腹になって一通り終了すると、ドアの鍵を開けて他の連中に食べさせてやろうということで、『開放』というわけです。
食べ物、それも残り物を食わせてやるだけなのに『開放するぞ』と大仰な言葉をほざいているのって、おそらくK大学以外に無いでしょう(笑)
でも、そんな食い物でも、食料が手に入りにくい寮内ということもあってか、食べれるだけありがたいものであり、うれしいと思っていたものです。
それにしても、『開放だ』といった直後に同級生ども(特に飯をよく食う運動部系)が『食い物だ〜』とワラワラと集まってくるという光景は、今考えるとかなり異様なシーンといえるかもしれませんな。
一体どこの難民キャンプだ。
とにもかくにも、号室コンパは楽しいイベント(?)でした。
あ、いい忘れましたが、もちろん酒は禁止なので、号室コンパ中も一切飲みません。
はっきりいって、K大学の号室コンパは、一般的にいわれているコンパとは似てもにつかぬ、もはや別次元のモノといえますな。


 差し入れ@号室コンパの食事
上で既に説明しましたが、K大学の寮では、号室コンパというK大学ならではのコンパがしばしば行われます。
といっても人によってけっこうこれを行う頻度に差があるもので、男子学生の場合は半年に一度くらいのペースでしかしないこの号室コンパですが、聞く所によると女子寮の方ではかなり頻繁にやっているみたいです。
いわゆる、『女性は何人か集まってお菓子などを食べたりしながら雑談を交わす事を好む』というやつのK大学式みたいなものですか。
そんなわけなのかどうかは知りませんが、K大学内でのカップルにおいては、男子学生が自分の彼女から『差し入れ』を貰うという行為がよくみられます。
そう、号室コンパで作った焼き飯やお好み焼きなどを貰うのです。
差し入れは、大抵かなり大量に貰うものなので、これを彼女から貰った男子学生は他の同級生達と一緒においしくいただくのです。
差し入れでよくあるのは、大型トレイ山盛りの焼き飯とか、お好み焼きとか。
私もよくお世話になりました。
なお、誕生日やなにかしら祝いごとがあった場合は、差し入れが手作りの簡単なケーキになったりする事もあります。


 知らない学生にパシられる
K大学は全寮制であり、学生達は全員寮内で生活します。
もちろん、寮は男性用と女性用に分かれており、1〜3号館と8号館が男性用、そして4〜6号館が女性用となっています。
ちなみに7号館は講師や教授達、大学院生達の寮。
で、男が女性用の寮に入ったりするのは基本的に禁止されています。
その逆も然り。
そんなわけですから、同大学内での男女のカップルにとっては厳しい事この上ない。
寮内ではおいそれと会う事が出来ないので、彼女や彼氏に会おうと思ったら大学の校舎や施設や外といった公共の場で会うしかないのです。
しかし、問題なのは、連絡手段。
今では携帯電話(もしくはメール)を使えば簡単に連絡を取る事が出来ますが、しかし私が大学に通っていた当時は、携帯電話というのがまだ一般的ではなく、知り合い同士で連絡を取るのが非常に難しいものでした(まあ、当時はこれが当たり前だったんですが)
この場合に一番困るのが、男女のカップル。
自分の彼女や彼氏に会おうと連絡しようと思っても、相手の寮には入れないので、連絡のしようがなく、ちょっと呼ぶだけでも一苦労。
そこでよく使われていたのが、『コール』と呼ばれるものです。
『コール』とは代理の人に呼んでもらう行為の事で、例えば女子学生が男子学生を寮から呼び出したい時、相手の寮の近くに待ち構え、その寮に入ろうとする適当な男子学生をつまかえて『すみませんが、−−学部−年の−−君呼んでもらえますか?』と頼み込むのです。
つまり、男子寮には入れないので、誰か適当な人に代理で『コール』して(呼んで)もらう、というわけですね。
ま、はりていにいえば、軽い『パシリ』を頼むということですか。
夜になると、コールしたり待ち合わせしていたりなどの男女が大学内のそこかしこで見られたものです。
で、私の住んでいた8号館の場合はどうかというと、ここは男子寮ということなので、当然女子側からのコールが大量に来ます。
ちなみに8号館の場合、隣接して建っている1〜7号館とは違い、8号館だけは大学構内の端の方に離れてぽつんと建っている(詳しくは前のエッセイを参照)という立地条件のため、8号館の前で女性がコールをするということは無く、そこより少し離れた8号館へ通ずる道の途中で女性が待ち、そこで8号館に向かう学生を捕まえてコールを頼むという状況でした。
私も何度か頼まれた事があります。
……しかしながら…。
これ、はっきりいって、頼まれる側にとっては、かなりウザイものです。
まあ、彼女がいるのなら、自分もそういう手段で呼び出される可能性があるので、それなりに協力的にもなろうものですが、しかし彼女のいない連中にとっては、はっきりいってウザッたらしい事この上ない。
そりゃそうでしょう。
彼女いないのに、何でわざわざ他のカップルのためにパシられなきゃならんのか、と。
まあ、ひがみといってしまえばそれまでですが、しかし実際に一人身にとってこういう事を何気に頼まれるというのは心理的にけっこう辛い。
ある意味、彼女無し男にとっては残酷な申し出、ともいえますね。
ただ、実際には、女性側からものすごく申し訳なさそうにコールを頼まれてしまうと、心の中ではウザイと思いつつも、なんとなく無下に断り辛い感じがするのも事実。
なので、心はサムくてイヤだと思いながらも結局は断れずに頼まれてしまうという……。


 公衆電話満員御礼から閑古鳥状態への推移
携帯電話といえば、今でこそ一人一台当たり前の時代になったものですが、しかし私が大学に入学したての当時は、携帯電話なんてモノは全くといっていいほど普及していませんでした。
したがって、学生達が使用する電話は、もちろん大学内に設置されたの公衆電話。
しかしながら、大学内に設置された公衆電話の数は決して多くなく、全部で十数台程度でした。
400人ほど住んでいる8号館の側に設置された公衆電話はというと、たったの4台。
K大学は全寮制な上に地方出身の学生が多いということもあってか、夕方から夜になると、大学内に設置された公衆電話はどれもひたすら満員状態でした。
常に誰かが使用中なK大学内の公衆電話だったので、電話をかけるために10分、20分待ちなんて当たり前。
30分、ひどい時には1時間以上待たされる事もしばしば。
特に食事の注文など(これについては後述)の、時間にして1分もかからない電話をかけるためだけに使用中の電話が空くのを数10分も待たされる場合などは、かなり気が滅入ったものです。
しかし時代は移り変わるもので、私がK大学に在学している4年間の間に、携帯電話とPHSが爆発的に普及するようになりました。
K大学の学生達の多くも携帯電話やPHSを持つようになり、私が大学4年の頃になるとすでに8割以上の学生がこれらを持つようになってました。
結果、電話する時には携帯電話かPHSを使うようになり、大学内に設置された公衆電話を使う人は次第に減少していき、しまいには公衆電話を使っている学生を見かける方が珍しいくらいになってしまったという。
ちなみに私は携帯を持たなかったので、その珍しい学生の内の一人でしたが(笑)
にしても、在学中にこれほどまでに携帯電話(PHS含む)が普及する事になろうとは……。
夢にも思いませんでしたね。
時代がめまぐるしく移り変わり変化していくというのを、まさしく肌で実感したものです。
ちなみに携帯電話が普及し出す少し前の時期に、大学内の公衆電話が緑色のヤツからグレーのデジタル回線電話に変更されたのですが、しかしほとんどの学生が携帯電話を使うようになったので、せっかく設置されたグレーの公衆電話、使う人全然いませんでした。
ところで関係無いですけど、こんな話題を出してしまうと、私がいつ頃大学に行ってたのかというのと、私の歳がモロバレですな。


 繋がらない携帯電話とPHS
上で言ったように、K大学では私の在学中に携帯電話とPHSは爆発的に普及し、在学生の9割方は携帯電話かPHSを持つようになりました。
しかし、K大学内では面白い事に、携帯電話もPHSも、なぜか電波状態が非常に悪いのが特徴でした。
まあ携帯電話もPHSも、当時は時期的にまだ普及したてだったということもあってか、比較的電波状態が悪いという症状がよく見られたものですが、K大学ではそれがものすごく顕著だったのです。
部屋の中では当たり前のように『圏外』告知が出現し、PHSなどはいちいち窓際に行かないとかけれないというありさま。
携帯も似たようなもので、室内で使うと圏外になりやすいので、これまた窓際に行かないとなかなかかからないという。
ひどい時には、寮の外に出ないとかからない時も。
一体何のための携帯なんだか。
ま、そこらへんがK大学らしいといえばらしいのですが…。


 ニイチャン、イイテレホンカードアルヨ
上で説明したように、私が大学に入学してからしばらくの間は携帯電話なるものはほとんど普及しておらず、まだ公衆電話を使用するのが当たり前な時代でした。
そのため、テレホンカードの使用率も高く、特に地方出身の学生が地元に電話して長話などをしたら、テレホンカードの消費量もスゴイモノに。
K大学は全寮制な上に地方出身の学生の数も多いので、公衆電話で長電話をする学生達もたくさんいたんですよね。
なので、公衆電話の周りには使用済みのテレホンカードがそこら中に散らばっているというありさま。
私も何度か実家に長電話をした事があり、その際には『家にあまってるテレホンカードがあったら送ってくれ』と頼んだ事も何度かありました。
で、そんなテレホンカードの需要が果てしなく高い時期によくあったのが、偽造テレホンカード、いわゆる無限度数テレホンカードと言うヤツです。
私は実際に購入した事が無いので詳しくは知らないのですが、これらを買った事のある同級生達によると、盛り場や歩行者天国などの人通りが多い場所で、『ニイチャン、テレホンカードカワナイカ?』と話しかけてくる怪しげなアラブ系の人から数10枚の偽造テレホンカードを数百円くらいで買うらしいです。
まあ、おおよそはカードのパンチ穴をセロハンかなにかで埋めて使えるようにしただけテレホンカードだったのですが、しかし緑色の公衆電話では実際に度数を減らすことなく使えたらしいです。
ただ、この頃になると偽造テレホンカードの問題がけっこう深刻化していたのか、次第に多くの公衆電話ではこの偽造テレホンカードが使えないようになっていました。
またそれだけでなく、公衆電話自体もデジタル回線を使ったグレーの公衆電話に変わっていき、偽造を使うと電話局にバレてしまうという対策まで取られるようになってましたね。
そんなわけなので、大学入学当初はけっこう持っている学生も多かった偽造テレホンカードが、いつのまにかまるで無かったかのように、忘れられた存在となっていました。
まあ、その原因は上に上げた公衆電話側の対策のみならず、携帯電話とPHSの爆発的な普及により公衆電話自体使う人がいなくなったというのもありますが。


 レストランと化した喫茶店
K大学の近くに、喫茶店が2件隣接して建っています。
しかしこの2件、喫茶店とは名ばかりで、本質的には食堂となっています。
詳しい話は知らないのですが、多分、過去にK大学の学生達があまりに食事を頻繁に注文しまくるので、いつの間にやらコーヒーなどよりも、食事関係の方が充実してしまったのでしょう。
そんなわけですから、この両店、喫茶店のなのに異様なまでに食べ物の種類が豊富。
喫茶店のクセに、70種類以上もの定食や軽食がメニューに並んでいます。
どんな喫茶店だ…。
しかも両店各々に異なる特徴があり、片方の店はソテー系のものが多くソースの量も多い、もう片方の店はカツ系のものが多くソースは少なめだがご飯の量が無闇に多いという。
味の方もなかなかのものなので、外出時間になるとこの2つの喫茶店はK大学の学生でごった返します。
もちろん、この両喫茶店では、持ち帰り、いわゆるテイクアウトも受け付けています。
7時の門限前になると、よく外出先からテイクアウトの定食(弁当)を電話で注文して、帰り際に喫茶店に寄って定食(弁当)を持ち帰るという学生達がよく見られました。
まあ、これだけならなんということは無い、他の学校でも見られるよくある店といえるのですが、しかしこの両店にはちょっと、いや、大分変わった特徴があります。
それに突いては、次の項目で説明。


 出前サービスありの喫茶店
K大学生ご用達なこの2件の喫茶店、その最大の特徴は、『出前システム』があるということです。
それも、コーヒーの出前とかではなく、食事の出前が。
まあ、出前自体はそれほど珍しいものではないといえるのですが、しかしこれがK大学の全寮制というシステムを考慮した場合、とても奇妙な光景になります。
すでに何度も書いたように、K大学は全寮制であり、全ての学生は、外出可能な時間以外は大学の外に出れないようになっています。
つまり、ちょっと小腹がすいたのでコンビニに何か買いに行ったり食事しに行ったりといった行為が出来なくなっているのです。
まあ、一応大学内に食堂や売店があったりしますが、しかし食堂は利用可能な時間がきっちり決まっているためいつでも食事できるという場所ではなく、また売店は8時になるとすぐ閉店してしまうというていたらく。
そんなわけですから、ちょっと食堂に行きそびれた、ちょっと売店にいきそびれたというだけで、もう食べものを入手する事が出来なくなってしまうのです。
そんな時に役立つのが、上記の2つの喫茶店で注文する、定食(弁当)の出前。
喫茶店に電話をし、大学まで出前してもらうのです。
しかし、学生達の外出制限規律にキビシいK大学では、当然そのような出前を、正門を通して受け取ったりするといったことは許可されていません。
そして、K大学では裏門といった場所は無く、入り口は正門以外にありません。
ではどうやって出前の弁当を受け取るか?
答えは、『大学の外壁越しに受け取る』です。
前回のエッセイで説明したように、K大学の全ての外壁には外部からの侵入(と同時に学生の壁越え外出)を防ぐための有刺鉄線が強固に巻かれています。
しかし、一箇所だけ、誰が開けたのか知らないけど、その有刺鉄線が半径30センチの円形状に開いている部分があるのです。
喫茶店からの出前は、この有刺鉄線の開いている部分越しに受け渡しされるのです。
外壁の側で出前を待っている学生達。
そしてしばらくしたら両手一杯に出前弁当を抱えて喫茶店の人が『お待たせしました』と来る。
外壁&有刺鉄線越しに受け渡し交換される、出前の弁当とその代金。
端らから見たら、はっきりいって異様な光景。
こんな方法で食事の出前を受け取っている学生なんて、他にいるんでしょうか。
今思い返してみると、なんかどこぞに閉じ込められた人達に秘密裏に配給が配られているような、そんな感じですな。
さすがK大学、というべきか…。
ちなみにこの出前の壁越しでの受け渡し、一応大学側では禁止とされているのですが、しかし大学側も食糧事情に乏しいという事情は知っているせいか、表面上は禁止してても、ほとんど黙認状態となっています。
もっとも、ごくたまに秩序を保つためか、有刺鉄線の開いている部分が大学側によって閉じられてしまう事もありますが。
といっても、しばらくしたらすぐに誰かがその部分の鉄線を開いてしまうので、あんまり意味が無かったりします。
あ、ちなみにこの出前の注文は、もちろん男子学生だけが行っている行為です。
女子の方は上でも説明したように、お菓子をたくさん買って食べたりしょっちゅう号室コンパなどをしたりしているので、それほど食べ物に困る事はないようです。
それ以前に、そもそもこういった出前の注文自体、女性は普通やりませんですしね。


 Battle with Cockroach
K大学は全寮制であり、そして私の住んでいた8号館は男子寮です。
さらにそれだけでなく、8号館は他の1〜7号館からかなり離れたところにあるという立地条件のせいか、非常に男くさい雰囲気の寮となっており、別名『男塾』『男の園』とまで呼ばれていました。
で、そんな野郎野郎した汚い住居と切っても切れない存在となっているのが、ゴキブリですね。
一応、K大学の寮では、夜の点呼の後に各自が自分達の号室と担当区域を掃除をするという決まりになっているので、一応それなりに掃除は行き届いています。
が、しかし元々K大学の寮字体汚く、さらに8号館の場合はそれに加えて周囲が運動場に囲まれているため、砂埃や土埃が大量に舞いこむのが日常茶飯事。
そして男だけの住まい。
そんな条件がズラリとそろっているわけですから、いくら掃除をしても常に汚い状態なのは当然で、そしてそのような場所ですから、もちろんゴキブリも出ます。
まあ、さすがにしょっちゅうというほどではないのですが、しかしそれなりに出てきます。
で、ゴキブリが出ると当然、『うわッ!ゴキブリ出やがった!』『なんやと!』『こっち来んな!』とみんな大騒ぎ。
普通の人ならこの直後、新聞紙などで叩き潰すか、殺虫剤を浴びせるか、もしくはそのまま大騒ぎして終わるというパターンで終わるものです。
ですが、K大学8号館の野郎どもは、ちょっと違います。
ゴキブリが出ると、
『お、ゴキブリが出た!』
『どこだどこだ!?』
『そこだ!』
『よし!誰かヘアスプレー持って来い!』
『あとライター持ってるか?』
『ヘアスプレーあったぞ』
『よっしゃ!火炎放射器発射!』
といって、ゴキブリに向かってスプレー&ライターによる殺虫剤火炎放射攻撃!
そうです、『ダイナマイト刑事』でおなじみ、あのスプレー火炎放射器をK大学8号館では対ゴキブリ用兵器として使っているのです!
叩いてつぶす事もよくしますが、しかし寮内は机や棚などのちょっとした隙間が多いため、実は叩くよりもこちらの方が効果あったりします。
ちなみにスプレー火炎放射器の他にも、対動きの遅いゴキブリ用に、可燃性ムースをぶっかけて点火するという事もします。
可燃性ムースをニュルニュルとゴキブリの上に撒き散らし、そしてボワット点火!
哀れ、ゴキブリはギャースと火だるまに。
この火炎放射器とムースファイアー、普通の家や屋内でやると壁や床に焦げ目がついたりして大変な事になってしまいますが、しかしK大学の寮(8号館)は元々の寮自体が砂埃モウモウが当たり前なほど汚いため、少々汚れてもあまり気にならないものであり、そのためみんなそういった火炎放射やムース燃やしといったムチャな行為を結構お気軽にやっていたりしたものです。
さすがK大学の寮、というべきか、それとも救いようが無い汚さの寮というべきか。


 野郎の園での日焼け風景
前回のエッセイでも語ったように、K大学の夏場、とりわけ野郎ばかりの8号館は、もうそりゃあ筆舌に尽くし難いほど暑苦しく、果てしなくムサ苦しいものですが、そんな場所でも学生達はある程度、夏の日差しをエンジョイしたりします。
そんな中で代表的といえるのが、日焼け。
K大学生達は、夏場の日差しの強い日などは、ベランダや屋上に出て肌を焼きます。
もちろん、8号館の場合も同様。
しかしながら、女ッ気ゼロな男子専用寮である8号館では、必要以上にムサい野郎どもがパンツ一丁でベランダもしくは屋上に陣取り、日焼けをします。
これが洒落たビーチや綺麗なマンションのベランダなどの場合、ある程度さわやかな青春の一ページといった風景に感じられるかもしれませんが、しかしここは汚さとむさ苦しさでは定評のある8号館。
はっきりいって、見苦しいです。
男連中、それも暑苦しい体育会系の野郎どもばかりが砂埃だらけのベランダに寝転がって日焼けしている風景に、華なんてありゃしない。
しかもそれが汚い寮に見事にマッチして、ムサさがさらに倍化。
これっぽっちも気持ちよさそうに見えません。
冷たい水なんかも無いので、さわやかさもまるで皆無だし。
ですが、全寮制な上に外出時間も制限されているK大学の学生達は、こうでもしないと夏の日差しを満喫できないのです。
まさに男の園の真髄極まれり、というべきか。


 裸で屋上掃除をしてたとき…?
以前も言ったように、K大学の寮の掃除は、全て自分達、つまり学生達の手で行われます。
各部屋はもちろんの事、寮内の施設は全て自分達で掃除する事になります。
もちろん屋上や玄関なども然り。
そんなシステム下の元、同級生達と屋上の掃除をしていたある日、ちょっとした印象深い事件がありました。
その日は大掃除の日で、寮内の各部屋はいうに及ばず、寮の周辺、通路、大学の校舎、講堂、構内の草むしりなど、全学生が一斉に大学の掃除をしていました。
その時に私と同級生達にあてがわれた担当は、8号館の屋上掃除。
時期は5月の半ば頃だったのですが、しかしその日の天気は日差しの強い晴天でかなり暑かったので、私を含め、みなは上半身裸で屋上の掃除をしていました。
もちろん、見た目かなりムサかったです。
屋上掃除もそろそろ終わる頃、一人の同級生がその屋上から、隣の大学(K大学の隣には他の大学が隣接して建っている)で池の魚にえさを与えている一人の若い女子大生を見つけました。
その同級生はなんと無しに、その隣の大学生に声を出して『オース!』と手を振って挨拶しました。
時間をもてあまし気味だった他の同級生達(私含む)も皆、そのときは掃除が終わってなんとなく気分がハイだったのか、つられてその隣の大学の女子大生に『オース!』と手を振って大声で挨拶しました。
その瞬間、その女子大生は『キャッ!』と小さな叫び声を上げ、慌てて屋上から覗き見ている私達の視界から逃げるように去っていきました。
『さすがにいきなり挨拶したから、ビックリしたのかねえ?』
と、その時、私達は特に深く考えずにそれで納得していましたが、今よくよく考えてみると、かなり異様な光景だったもので、あの女子大生が逃げるように去ったのも、なんとなくなっとくできます。
そりゃそうでしょう。
名前も知らない上半身裸の果てしなくムサく暑苦しい体育会系野郎ども十数名からいきなり大声で話しかけられたりしたら、そりゃ逃げたくもなるってものですな。
ましてや、女性ならなおさら。


 オウム真理強の影響 in K大学
オウム真理教といえば、今では知らぬものはいないといわれているほど色々なスキャンダルや事件を起こした宗教団体ですね。
そんな超有名宗教団体は色々な意味で日本に影響を与えたもので、当然K大学の学生達もそれなりに影響を受けました。
その中でもっとも印象的で記憶に残っていたものといえば、2つありますね。
一つは、『サティアン』。
詳しくはよく知らないのですが、聞く所によるとオウム真理教の使っていた建造物や、麻原彰晃が隠れていた場所の名前が『第〜サティアン』だったらしいですね。
その『サティアン』という言葉の響きが私の同級生達の間で印象深かったのか、私の学部の学生が住んでいる8号館はいつのまにか『第8サティアン』なるあだ名がつけられてしまったという。
まあ、他の号館からやたらに離れて存在しているという立地条件、そして汚くてなんだかよく分からないという第一印象を持たれそうな怪しい内部の雰囲気など、どこぞの怪しげな宗教の隠れ家といってもあまり違和感なさそうだったのが、『第8サティアン』というヘンなあだ名の定着した原因といえるかも。
そして次に印象的だったオウム真理教からの影響といえば、なぜか私の同級生達の間で麻原彰晃の歌が流行ったということですね。
まあ、歌といっても
 しょしょしょ しょしょしょしょ しょーこー。
 しょーこー、しょーこー

という部分だけなのですが、なぜか皆やたらこのぶぶんを口ずさんでました。
なぜに…?
しかも両手を組んでカンチョーのポーズをし、それを上下に振りまくるという、振り付けまであるというからたまらない。
そして、やるときは皆やけに楽しそうだったというおまけ付き。
今考えると、まるで小学生レベル並の行動をうれしそうにやってたんだなあと、当時のアホさ加減を痛感します……。
ホント、アホだ。
でもよくよく考えたら、このようなヘンな踊りと歌を嬉々してやってる大学生って、なんか笑える。


 ただのオブジェクトと化したATM
K大学内には、ある銀行のATMが一台、設置されています。
場所は正門入り口のすぐ側。
外出制限が厳しいこの大学においては、大学内にATMがないと基本的にお金が入手できないので、まあATMが設置されるのは当然といえば当然といえますね。
ただしかし、このATM、はっきり言って役に立たんです。
なぜって、とにかく故障しやすい!
いや、故障しやすいというよりも、故障しっぱなしといったほうが正しいかも。
とにかく頻繁に故障しまくります。
あまりに故障が頻発するので、このATMはもはや作動している時間よりも『故障中』となって使用中止になっている期間の方が長いくらい。
『金がねぇ〜ッ!』
『よし、ATMに行こう!!』
『なにィ!ATMが故障中だとぉッ!!!』
という三連コンボを、何度味あわされた事か…。
というか、そもそもここまで故障しまくるATMも珍しいかも。
しかもATM自体マイナーな銀行のだし。
立地条件のせいなのか、それともK大学生が使っているからなのか、とにかく故障しまくりな役立たずATMでした。


 湿気とカビは8号館のお供
日本の夏は湿気がものすごく、ムシ暑い夏になるというのは皆さんご存知。
このK大学の8号館でも、当然夏場になると湿気でムシ暑くなるものです。
この湿気に関して、とりわけ8号館、いやK大学の寮らしいといえるのは、この寮内は風通しがかなり悪いということですね。
寮内はやたらに狭く(構造については前回のエッセイ参照)、ついでに色々な物が沢山置かれててごちゃごちゃしているので、窓を開けっぱなしにしても風がほとんど入ってこず、夏場はとにかくムシ暑いことこの上ないです。
ついでに、K大学では体育会系の野郎達が多く、汗をよくかいたり汗で濡れたTシャツなどが酸っぱい臭いを撒き散らすということもしばしば。
イヤ過ぎる…。
で、その結果としてお約束なのが、カビ。
夏場は朝も夜も常に湿気でムンムン汗でムンムンな状態なので、ちょっと油断するとすぐに服などにカビが生えてしまいます。
しかもそれだけならず、布団にもしょっちゅうカビが生えます。
K大学の寝床は全て狭苦しいベッドな上に、スシ詰めな部屋となっているので、湿気がたまりやすい事この上ない。
しかし、前回のエッセイで語ったように、K大学のベランダは狭くてろくに布団も干せないときたもんだ。
私も、入学初期に使ってた布団にカビを発生させて使い物にならなくなったことがあります。
そんなわけですから、K大学の寮(特に8号館)では、湿気取りが常備されなければなりません。
そう、あのホームセンターなどに売ってる、箱や袋の内部に粒粒が詰まった簡易湿気取りです。
特にベッドまわりとロッカー内部には必ず設置しておく必要があります。
ちなみに私は布団を一つだめにしてしまったので、新しい布団では、布団とベッドの間(つまり布団の下)に布団用湿気取りを仕掛けるという手法をよく使いました。
本来は布団を押し入れなどに保管する時に設置する湿気取りを、寝床に直接設置するのです。
足元に一つ、枕の下に一つ、そして汗をかきやすい腰の部分に2つほど設置。
こうする事により、寝ている時にベッドで汗をかいても湿気取りのおかげで、ある程度湿気を押さえる事が出来たんですよね。
カビも生えなかったし。
湿気はけっこう溜まるもので、特に腰周りの部分に置いた湿気取りは、夏場などは1ヶ月ごとに新しいものに交換しなければならないほどよくたまってました。
しかし、そのおかげで布団にカビを生やす事は無くなりましたが。


 選ばれし者が持てる移動手段、自転車
K大学では、自転車を持つのに許可がいるという奇妙なシステムとなっています。
あらかじめ各学部、各学年毎に所有できる自転車の絶対数は決まっており、自転車の所持を許可された学生以外は、自転車を持てないようになっているのです。
ワケのワカらんシステムだと思いでしょう。
私もワケが分かりません。
何で自転車所有にこんな制限が課せられているやら。
まあそれはさておき、とにかく、K大学では自転車を所有できる人員数が限られています。
所有可能となった学生は、学校側から大学のマークのついたステッカーを貰い、それを自転車に張り付け、K大学の学生の自転車だというのを証明するわけです。
あ、ちなみに自転車の購入自体はもちろん自腹。
なお、所有許可を貰える学生の基準は特にこれといって決まっておらず、学校側からすれば単純にその学年の自転車の所有台数が一定に決まっていれば良いという事なので、自転車所有許可保持者の決定は学部や学年によって色々な手段で決められていました。
とりわけ私の学年では全学生の3分の1ほどが自転車の所有可能で、ジャンケンで自転車所有者を決めました。
私はそのときジャンケンに勝つことが出来たので、自転車を4年間所有する事になったのですが、今考えたらかなり運が良かったなーと思いますね。
なぜって、この大学では寮生活というシステムなので、学生達は、自動車はおろかバイクや原付すら持つことが許されておらず、唯一の乗り物である自転車すらも限られた人員しか持ってはいけないという有様だったから。
そんなわけなので、自転車を持っていないものが自転車を使って出かけたい場合、持っているヤツから借りてこなければならず、借りる事が出来なかったら徒歩で移動するハメに。
しかし、私は自転車を持つことが出来たので、4年間通して、いつでもすきな時に自分の自転車を自由に使うことが出来ました。
もし自転車所有許可を得られず、毎回他の人から借りなければならなかったのなら、外出する時にかなり不便だっただろうなーと、今では思います。
ただ、私が所有していた自転車は、なぜか異様にパンク確率が高かったのがチト悩みの種でした。
私はパチスロを打ちに行くために頻繁に自転車を使っていたのですが、とにかくしょっちゅうパンクしまくりだったのが辛かったです。
3ヶ月に一回くらいのペースでほぼ必ず起き、ひどい時には直して数週間でパンク、直して次の日にパンクということもしばしば。
とにかくパンクするわするわするわで、もううんざりでした。
あまりにパンクするので、開き直ってパンクしたままの状態で乗り回していた時もあったり。
しかも、それに慣れてしまって、しばらくはパンクした自転車を乗り回すのが当たり前になったときも。
アホですな。


 K大学に伝わる、伝説の人物
どこの学校にも誰かしら一人、変わった事やバカな事をやってのけて後々の世代まで名前を残してしまう人物がいるものですが、K大学にもそういった人はいました。
本名を出すわけにはいかないので、ここではMさんとしておきましょう。
今ではもう彼は中年といってもいいほどの年齢で、在学していたのは遥か以前の話なのですが、しかしK大学では、いまだに彼の噂は語り草になっているようです。
いわゆる、伝説の人物ってやつですか。
私も在学中、彼のエピソードをいくつか聞いた事があります。
今でも2つほど覚えているので、それを語ってみましょう。

 Mさんエピソードその1.省略語
日本人はやたらに言葉を省略したがるというのは周知の事実ですが、彼の在学していた時代でもそれは同様でした。
当時は特にカタカナ言葉(いわゆる外来語)を省略して言うというのが流行っていたらしく、これらを省略するのが一種のステータスみたいなものになっており、多くの言葉がやたらに省略されて使われていました。
ま、当時に限らず今でも同様ですが。
そして彼、Mさんの場合。
ある日、彼が友人達数人と喫茶店に入った時の事です。
友人達はコーヒーや紅茶を注文しました。
そしてMさんはクリームソーダが飲みたかったので、それを注文しました。
しかし、彼はその時、クリームソーダを省略して言って、少しカッコつけようとしてみました。
ウェイター『ご注文は?』
Mさん  『ええ、クソダください』
ウェイター『え?』
Mさん  『クソダですよ、クソダ』
ウェイター『……?』
彼は、クリームソーダを略して『クソダ』と言っていたわけですね。
…で、数分後、Mさんの前にはカレーライスが運ばれてきましたとさ。

 Mさんエピソードその2.カニカニ
Mさんのエピソードで次に有名なのが、このカニカニ。
ある日、彼は無償に大便がしたくなり、大学内のトイレでそれを済ましました。
ああしかし、なんということか、そのトイレには紙が無かったというのを、出した後で彼は気付いたのです。
その時はとても慌てていたため、紙の確認をするのを忘れていたわけです。
おまけにポケットティッシュの類も持ってないときたもんだ。
このままではケツを拭く事が出来ません。
しょうがないので、彼はとりあえず自分の寮の部屋まで紙を取りにいくことにしました。
それまではケツを拭く事はできない、と。
寮までの距離は歩いて2、3分ほどですが、しかし、大を出したばかりのケツにはナニがついている。
かといって他の学生もいるかもしれない大学内を、下半身丸出しのまま闊歩して寮まで戻るわけには行かない。
悩みに悩んだ末、仕方が無いので、彼はとりあえずパンツもズボンも一応はいて寮まで戻ることにしました。
といっても普通にはいたらパンツにナニがついて汚れてしまうので、彼はある方法を取ることにしました。
それは、パンツとズボンがケツに触れないように中腰でガニ股状態になって、そしてその体勢をキープしたままなんとか寮まで戻るというもの。
やってみると分かるのですが、確かにこの体勢だとパンツがケツに触れないのです。
そして彼は中腰でガニ股の体勢を取ったまま、見るからに異様で奇妙な歩き方で寮に向かいました。
しかし運悪く、彼は他のK大学生にその姿を見られてしまいました。
(…こりゃヤバイ、一体どうやってやり過ごすか?)と思った彼は、とっさに
 『カーニ・カニ』
 『カーニ・カニ』
とひとりごと呟きつつ手にチョキを作り、カニのモノマネをしてごまかしたのです。
はっきりいって苦し紛れなことこの上ない。
そりゃそうだ。
道端でいきなり『カニカニ』とか呟いてガニ股中腰で歩いているなんて、どう見ても奇怪なヤツ以外の何モノでもありません。
実際、結果的にはごまかしたというよりも、むしろ別の意味でよけいに変な風に見られてしまった、と。
そして最終的には、彼が必死にごまかしてなんとかその場をやり過ごしたその努力も空しく、これがK大学有名人のエピソードとしていまだに語り継がれているのを見ても分かるように、結局、彼のカニカニ行為の真相はモロにばれてしまっていたというわけです。
いとあはれ。


 K大学の文化祭は…?
大学には文化祭という年に一度の一大イベントがありますが、一応K大学でも文化祭らしきイベントはあります。
といっても、その文化祭は、大学内のある大きな集会のサブイベントとして年に数回開かれるものであり、また外部の人間を招き入れない、大学内の学生達のみで開かれる小規模な祭り(ここらヘンが全寮制ならでは)といったものなので、他の大学とはちょっと違うものといえますが。
とはいえ、学生達が自分達の手で小さな出し物を催すというのは変わらないので、それなりに文化祭気分は満喫できます。
ヤキソバ、お好み焼き、フランクフルト、ジュースといったこの手のイベントではおなじみの屋台店が、大学内で開かれます。
いくつか印象深かったものを語ってみましょう。
まず、私の学部の出し物は、毎年恒例となっているヤキソバでした。
なのですが、サブ的な出し物として、『ミニエアホッケーゲーム』というのもやってました。
まあ一言でいってしまえば、オモチャ屋で売ってるミニサイズのエアホッケーゲームをプレイして、連続して店側のプレイヤー3人(5人だっけ?)打ち負かす事が出来たら、何らかの商品がもらえるという。
…今考えると、すごくチープでチャチな出し物ですな。そ
商品も大して価値があるとは思えないものばかりだったし。
これぞ手抜き。
さて、他の学部で印象深いものだったのが、経営学部の主催する出し物、『あっちむいてホイゲーム』ですね。
これは文字通り店側の人とあっちむいてホイをするというゲームで、連続で特定の人数に勝つ事が出来たら商品がもらえるという。
まあ、チープさと手抜きさという面においては私の学部のものと大して変わりませんな。
このゲームで特に印象深いのが、商品。
K大学の経営学部は他の学部に比べて金持ち学生が多く(経営学部らしい、といえるか)、それに伴い商品も他の学部では見れないほど豪華なものばかり。
CDコンポ、高級電気スタンド、パソコンなど、他の学部では絶対に出せないような高級プライズがズラリ。 ちなみに参考までにいうと、私の学部でのエアホッケーの商品は1000〜2000円程度のものばかりでした。
といっても、これらの商品、あっち向いてホイゲームに8回以上連続で勝たないと貰えないように設定されている辺り、経営学部の連中もなかなかに抜かりはありません。
実際、あっち向いてホイなんてみんなめったにやらないので、条件はほぼ対等。 つまりいってみれば勝率は基本的に2分の1。 そしてそれを8回ということは、勝率は2分の1の8乗で、256分の1。
こりゃキビシい。
あっち向いてホイゲームは、気をつけて挑んだらある程度は出来そうな気もしますが、しかしそこらへんは経営学部の連中もなかなか考えており、ものすごくハイスピードでゲームを進行させます。
なので、挑戦者は考えるヒマも無くあれよあれよというまに負けてしまうという。
ついでにいうと、あっち向いてホイをする経営学部のメンバーは、何度もしているうちに次第に慣れてきてハイスピードなペースについていけるようになるので、これまた挑戦者にとっては勝つのが難しいと。
なかなかに策士です、経営学部。
さて、他の学部では、弓矢の的当てゲームや、輪投げとかもあったりしました。
どれもチープさではどっこいどっこいでしたね。
とまあ、K大学の文化祭(もどき)はこんな感じでした。
あっち向いてホイやミニエアホッケーなど、他の大学より遥かに安上がりで手抜きさ目白押しな出し物が多数見られるあたりが、まさしく他の大学とは少し違う、K大学ならではといえるでしょう。


 ブロックを頭突きで割る同級生
私の同級生の一人に、ガタイがデカく(やたらに太っているともいう)、過去に柔道をし、その後は空手をしているという人がいました。
ここではHさんとしておきましょう。
で、そんなHさんの得意技、というか隠し芸といえるのが、ヘッドバット、いわゆる頭突きでのブロック割り。
そう、あの空手の試し割りなどで使われる、長方形のブロックを頭で割るのです。
運動会の前日に行われる気分高揚のための集会や、学部学年別隠し芸大会などで、彼はよくこれをしました。
その際、彼に似ているあるプロレスラーの名前を同級生連中が一斉にコールし、そしてそのコールに答えるようにして額でブロックをガツン!ガツン!と割ります。
もちろん、額が擦り切れてブッチャーの如く流血するのはお約束。
大体そのブロック割りから数週間は、額に大きなかさぶたが出来ているというのが、彼のいつものパターンでした。
笑い話的に語っていますが、しかしながら考えてみれば、ブロックを頭突きで割ることが出来るなんて、なかなか出来る事じゃなく、それについては素直にスゴイと言わざるをえませんな。


 唯一冷房のある施設、図書館
K大学の寮には暖房(パイプのヤツ)が一応ついていますが、しかし冷房はついていません。
そんなわけですから、以前に何度も言ったように、この大学での夏場は地獄のような蒸し暑さで溶けそうになります。
そんな時に大助かりなのが、図書館。
この大学の図書館は、学生が自由に利用できる施設の中で唯一、冷房が設置されている場所なのです。
したがって夏場になると、涼もうとしてやたらに図書館を利用する学生が増えるという。
もちろん、図書館内でダベったり寝たりするのはお約束。
ただしかし、この図書館、あんまりにも暑い真夏日になると、利用者が異常に増加します。
その結果、涼しいはずの図書館内が、人間の体温と熱気で逆に暑くなってしまうという。
ヒドい時などは、あまりに人が詰め寄るので、外よりも気温が高くなってしまうことも。
その様はまるでサウナ状態。
外に出たら『涼しい!』と感じてしまうほどの暑さ。
一体何のための冷房装置なんだか。


 ファインプレーを叩く!?
大学生といえばパチンコ、パチンコといえば大学生といわれるように、大学生がパチンコ(もしくはパチスロ)をする割合というのは高いものです。
それはK大学においても同様で、私の見た感じ、この大学でも半数以上の男子がパチンコをしていた、と言っていいほどでした。
もちろん私の学部の同級生達も上に同じ。
そんなパチンコ好きなK大学の学生達ですが、しかし儲けていたヤツとなるとほとんどおらず、まあ普通に負けているものがほとんどでしたね。
そんなわけなので、中にはまともに打たずに反則な方法を使って打つ(ではなく儲けようとしているというべきか)者達もいました。 
まあ、よくよく考えてみたらパチンコというのはお金を賭けてプレイする娯楽であり、プレイする目的は勝つ事なので、そういうちょっと反則的なやり方をするヤツもいるのは当然といえば当然なのですが、私の周囲の同級生達は特にそれが顕著でした。
まあ、パチンコやパチスロに付いては別のエッセイでおいおい語るとして、今回取り上げるのはファインプレーという台です。
ファインプレーという台はパチンコの羽モノに分類されるもので、磁石による役モノの見た目の楽しさもあってか、羽モノの中ではかなりのヒットとなりました。
当然設置台数も多く、羽モノを置いている店の多くはこのファインプレーを設置していたものです。
さて、このファインプレーですが、実は台の構造上、あるタイミングで台を叩く事により、ハズレ球を大当たり入賞口に強引に入れることが可能になっています。
つまり、台を叩く事により高確率で大当たりを引き当てる事が出来るわけですね。
当然それを見逃すK大学生ではなく、私の同級生達もこぞってファインプレーを叩いて儲けに行っていました。
もちろん、パチンコ店側もそれをみすみす見逃すわけは無く、叩くヤツが少しでもいるとすぐに警戒がキツクなり、かなり警戒の厳しい店などは、発見次第これを違法行為(ゴト行為)ということで警察に通報しようとすることもあったくらいです。
なもんですから、K大学生達はファインプレーをうまく叩くため、いろいろ試行錯誤してました。
どこそこの店がカモれるので今が行き時という情報を仕入れるとか、時間帯によって警戒の甘さが変わるという情報をチェックするとか、店員が見えなくなった隙に叩くとか。
中でも面白いと思ったのは叩き方の工夫で、腕時計を見る振りをして叩く、頭をかく振りをして叩く、何食わぬ顔をして叩くなど、みな叩き方に色々な工夫をこらして試行錯誤していたみたいで、端から見るとかなり笑えるものでした。
特に頭をかく振りをして叩くしぐさなんかが笑える(笑)
ちなみにわたしは、他の同級生達に対して、『そんなにリスクの大きい叩きに情熱を燃やすくらいなら、普通にやって儲けろ』、と当時はよく思ったものです。
私は普通に研究してまともなテクニックを駆使して打っても、十分コンスタントに儲ける事が出来てましたし。


 パチンコ、パチスロの遠征に出かける
K大学は全寮制であり、また外出制限も厳しいという条件下のため、学生達はおいそれと遠出をする事が出来ません。 休みの日も午後9時までには帰ってこなくてはなりませんし。
したがって、パチンコやパチスロを打つときにも、必然的に学生達はそれほど遠くない近場でする事が多いです。
しかし、近場に限定されるとやりにくいのも事実。
そんな時は、遠出をするのです。
つまり、パチンコとパチスロを打つための遠征。
遠出して、近場には置いてない珍しい台を打つ、ファインプレーのようなカモれる台を探す、近場よりも出ている店で打つ、新装開店直後の店を探すなどの目的で、遠出をするのです。
もっとも、K大学では外出制限が厳しいため、普通の日曜日や一日だけの休みの日などはそれほど遠出をする事は出来ず、仮に出来たとしても門限時間までに帰る必要があるのでイマイチ効果的ではありません。
が、しかしこれが連休となると話は別。
実は連休期間内には点呼は行われないので、2連休や3連休の日などがあると、パチンコに情熱を燃やしている学生は、泊まりがけで遠くまで打ちに行くという事をしばしばやってました。
遠征先での泊りがけだと、いちいち毎晩門限時間までに大学に帰る必要は無くなるし、またそれに伴い遅い時間までパチンコを打つことが可能となるのです。
では泊まる場所はどうするか?というと、知り合いが近くにいたり自宅が近かったりする場合は、そこに宿泊する事になります。
といっても、これはあくまでそれができる数少ない学生のみが持つ手段であり、知り合いや自宅が遠征先近辺に無い場合、普通は安宿や安ホテル、オールナイトの映画館やカラオケ、24時間営業の喫茶店などを利用します。
まあ、どれを使うかは人それぞれなので、どの手段が平均的にもっともよく利用されていたのかはよく知りませんが、私の場合は、こういう遠征をした場合の宿泊先は、カプセルホテル(オールナイトサウナ)をよく利用していました。
遠征し、遠征先の店で閉店までずっと打ち、そしてその後は適当にそこらで飯を食い、最後にオールナイトサウナで一泊する、と。
で、次の朝からまた開店前のパチンコ店に並び、そして開店から閉店までずっと打つという。
そしてそれを変える日まで続けると。
まあ連休なんて早々あるものではないので、やるのはおおよそ2、3日程度ですが、しかしいつも門限時間の限られているこの大学生にとって、遅くまで打てるというのはかなり大きなモノでした。
もっとも、遠征先で宿泊するという事は、つまり食事代やら宿泊代やらでよけいに金がかかるという事を意味するので、大負けこいたら悲惨な目にあうという、ちょっとした諸刃の剣とも言えましたが。
でも、私の場合は、遠征は長時間打つことが出きる数少ないチャンスだったので、多いに利用させてもいましたし、またよく儲けさせてもらいましたね。
実際、パチンコもパチスロも、長時間打てば打つほど勝率が上がるものですし。
最高、3日のパチスロ遠征で17万円稼いだ事もあります。
しかしながら……連休を利用して、パチンコとパチスロを打つためだけにいちいち宿泊込みで遠出をやらかすなんて、考えてみるとかなりアホな事してたかもしれないなあ、といまさらながら思ったりします。
まあ、これもK大学ならではな光景、といえますかな。
まあとりあえず、ファインプレーの部分でも言いましたが、パチンコとパチスロに関しては語り出すとキリが無いので、また別の機会にでも話すことにしましょう。


 徹夜で桃鉄
K大学の寮生活では娯楽が少ないので、楽しめる娯楽があると、皆はそれを必死になって楽しんでいたものです。
例えば私が持っていたPC、週末に隠れながら見るテレビ、トランプ、誰かが持っている数少ない漫画本や雑誌など。
そんな中、『桃太郎電鉄』(PS版)というゲームも、数少ない娯楽の一つでした。 もちろんテレビと同様、大学側にバレないよう、週末の夜中に隠れて楽しむものでしたが。
元々『桃太郎電鉄』シリーズは多人数で遊ぶ事を前提とした作りとなっているパーティーゲームの一種で、複数人数で遊ぶと非常に盛り上がります。
そしてK大学は全寮制、つまり常に同級生達と四六時中同じ寮、同じ部屋の中でクラス。
つまり、このゲームをプレイするにはうってつけの環境だったわけです。
そんなわけもあってか、週末の夜中に誰かのテレビとプレイステーションを借りて数人集まってプレイする桃太郎電鉄は、かなり盛り上がっていました。
まあ、私はやりませんでしたが、やっている連中の中には貫徹するヤツらも珍しくなく、熱中度は相当に高かったようです。
ところで桃太郎電鉄シリーズに限らず、この手のパーティーゲームでおなじみの光景といえば、友情崩壊だの裏切りだのといった、ドロドロした暗黒面の露呈がありますね。
K大学寮で行われていた桃太郎電鉄でもそれは当然あったもので、特に顕著だったのが集中攻撃でした。
突然皆が手を組んである一人に対してかわいそうなくらいカード攻撃だのボンビーなすりつけだのといった攻撃を集中的に仕掛けるという。
まあ、ある意味いじめに近いものがあるともいえますが、しかしそこらの中学や高校とは違い、プレイヤーはみな大学生。
ある程度分別はあるので、皆それはいじめとかそういう感覚でやっているのではなく、ゲームを盛り上げるための遊びでした。
なので、集中攻撃を喰らうヤツはそれほど決まっておらず、突然いきなり唐突に一人がターゲットになる、というのがよくあるパターン。
で、その反撃が始まったかと思えば、今度はターゲットが別の人に変わったりして。
いつ自分が標的になるかわからない、いつ皆が同盟を結んで特定のプレイヤーに攻撃を仕掛けるか分からない緊張感溢れるプレイこそが、K大学寮で行われていたこのゲームの醍醐味だった、とも言えるかもしれません。


 お引越し号室移動は大混乱
K大学の寮は学年毎に号室の場所が決められています。
例えば1年は1階の101〜110号室、2年と4年は2階の201〜219というように。
したがって。学年が変わると全学生は号室移動をする事になります。
しかしながら、これがまたものすごく大掛かり&めんどくさいんですよ。
そりゃそうだ、ただでさえ狭い大学の寮、しかもその寮内で全ての学生が、同日一斉に移転するんですから。
あっちこっちで荷物の山が出来あがり、ゴミの山が出来あがり、誰のか分からない身元不明の物体の山が出来あがる。
そしてそれを運ぶ学生達。
しかし寮内は狭苦しいのでなかなかうまくいかない。
移動先の学生がまだ移動していなかったら、待たなければならない。
待っている間は荷物が運べない。
荷物が運べないから、移動がはかどらない。
移動がはかどらないから、他の学生も移動もそれに連動してはかどらない。
それがまた回りに回って自分の移動にも影響を与える。
さらに移動がはかどらない。
そして悪循環。
…など、号室移動はとにかくてんやわんやの大騒ぎ。
寮が狭いため、運ぶ荷物自体はベッドの布団と衣装ケースの中身と机のもの(とその他もろもろ)だけと、普通の引越しに比べたら遥かに少ないのですが、しかしなにぶん寮内の狭苦しい空間を大勢の学生が一斉に移動するという事からか、想像以上にとんでもなく手間がかかります。
上手くいけば1日で済むのですが、下手すると2、3日かかる事もあります。
号室移動はそんな大騒ぎ必至な一大イベントでした。
ちなみに私がこの号室移動ですぐに連想してしまうのが、やたらに大量のゴミが出てくるという事と、出所のわからないものがどこからか舞い込んで来るという事、そして何かしらモノが無くなる事でしたね。
ゴミなんぞは、『一体どこにこれだけのゴミが!?』と思えるほどやたらに大量に出てくるもので、よくよく考えたらけっこう不思議な現象でした。
ついでにいうと、やたらに大量のゴミが出たわりに、モノ自体は見た感じ大して減ってないというのも不思議。
出所がわからないものがどこから出てくるというのもおなじみで、私も大学時代、号室移動のドサクサにまぎれてどこからか舞い込んできたモノの中で非常に便利なものは、長い間ありがたく使わせてもらっていたものです。
で、自分が大事に使っていたものが号室移動の際のドサクサにまぎれていつの間にやら紛失してしまうというのもお約束。


 クセぇ!ぎんなん
K大学内には、ぎんなんの木があります。
それも、8号館に通じる道に、並木道の木のように並んで立っています。
しかしながら、ぎんなんの実は周知のように、踏み潰すとえらく強烈な臭いを発散します。
並木道にぎんなんの木がある場所で臭い思いをした事のある人も多い事でしょう。
K大学のぎんなんもその例に漏れず、実を結ぶ季節になると沢山の実が地面に落ちてきます。
もちろん、そこらの通路に落ちているぎんなんの実は、そこを通る多数の学生達によって踏み潰されてしまいます。
そして、臭い匂いが辺りに漂う、と。
私の大学の8号館に住む学生達は、自分達の住まいである8号館に向かう途中の道にぎんなんの木があるため、毎日ここを通る度に必ずこの強烈な臭い匂いを強制的にかがされる事になります。
ツラかったですね。
まあ、落ちたぎんなんの実を踏み潰すのは当然その道を通る人、ほかならぬ8号館の学生達なので、自業自得といえばそれまでなんですが……。
とりあえず、もうぎんなんはこりごりです。


 土曜日の校門は外出許可証で溢れる
これまでの説明で既にご存知の通り、K大学生は外出と門限が非常に厳しく制限されています。
平日は2時(水曜日は4時)から7時まで。
休みの日は朝から夜の9時まで。
そして月曜日と土曜日な一切外出禁止。
基本的に上記の時間帯以外は一切外出できないようになっていますが、しかし『外出許可証』なる紙に行き先を書き、学生の学部責任者のサインと担任の教授からの許可ハンコを押してもらうと、外出禁止時間でも一応外出が出来るようになっています。
例えば病院に行く、自動車教習所に行く、知り合いの家に行く、市役所に行くなど。
基本的に外出許可証は、外出不可の時間に外に出なければならない時のために使われます。
しかしながら、この許可証、はっきり言ってバカ正直に普通の理由で使っている学生などあまりおらず、大半の学生は適当な理由をでっち上げて許可を貰って遊びに行ったりするために利用しています。
やる事の無い土曜日の午後から夜にかけての場合は特に。
まあ大学側もそれは重々承知のようで、課題や勉強や集会などがある平日こそ、ちゃんとした理由と証明が無いと外出許可をなかなか貰えませんが、しかし外出が全面禁止の割にこれといってやる事が無い土曜日の午後以降などは、特に深く追及されず、けっこう簡単に許可が貰えるようになっていたものです。
元々土曜日は平日と同じく外出可能な日だったのですが、しかし土日にかけて無断で外泊してくる学生があまりに多く発生したため、土曜日の外出は一切禁止と制限されてしまったんですよね(月曜日も同様の理由)
なので、おおよそ適当な理由であっても、土曜日に許可を貰う事が出来るようになっていました。
よく使われる理由として、親戚の家に行く、病院に行く、遠くまで買い物に行く、教習所に行く、本を買いに行く、など。
もっとも、まれに教授から許可を貰う時に『そういうのは日曜日に行けばいいだろ?』とツッ込まれる事もありますが、そういう場合は『目的の店は日曜日には開いてないんです』とか、『日曜日は都合が悪いんです』とか『病院は日曜日やってないんですよ』という苦し紛れな言い訳をつけるのはお約束。
ちなみに外出許可を貰う時には、帰ってくる時間まで記載しなければならないのですが、これまた帰るをマジメに書くやつなんぞほとんど折らず、『病院に行く』や『買い物に行く』といったどう考えてもすぐに終わりそうな理由で夜の11時や11時半まで許可を貰嘔吐する学生がほとんどでした。
もっとも、時には少しキビシいツッコミを食らう事もありましたが。
なので、ポピュラーな理由付けとしては、親戚の家に行く、知り合いの家に行く、というのがよく使われましたね。
で、そんなでっち上げの理由で外出する学生がやたらに出てくるせいか、土曜日の正門受付前に設置された外出許可証ボックスには、外出許可証が満載となります。
時には許可証がそのボックスから溢れていることも。
いまさらながら考えてみると、こんなにホイホイ学生が外出しまくっているので、土曜日の外出全面禁止システムって、する必要性あまり無かったんじゃないか?と思ったりして。


 朝まで生討論
K大学では、全寮制で全ての学生が同一の宿舎で寝泊りするという性質を利用してか、朝まで生テレビならぬ、朝まで生討論なる行事がまれにですが行われていました。
内容は文字通り、夜から朝まで学生達が集まって朝まで特定のテーマに沿った討論やディスカッションをするというものです。
参加は自由で、任意に参加したり途中で抜けたりする事が出来ます。
酒の席ではたまにこういう長い討論会などが行われる事もありますが、しかし数十人単位が集まってこの手の大規模な討論会が行われるというのは、少し珍しい事なんじゃないか、と思いますね。
いや、他の大学は行った事無いので、実際のところは他の大学の実情はよく知りませんが。
なお、討論のテーマはけっこうマジメで、人生観や人生論について、哲学について、政治経済について、文化について、教育について、人間のアイデンティティについて、環境について、戦争について、勉強について、など、見るからに眠たくなりそうなテーマで主に行います。
しかしながら、私も1、2度ほどだけ参加したことがあるんですが、なかなかどうして、真剣に討論してみると、けっこう色々得るものがあったりするものです。
実際、親しい者同士が集まってする事ならあれど、顔見知り程度の知り合いが数十人も集まって、あるテーマに添って真剣に自分の主義主張を述べる大規模な討論会って、余りやる機会は無いと思いますし。
『へー他の人はこう考えているのかー』と感じ、そしてそれに対して意見を言い合う。
まさに全学生が同一空間無いで生活する全寮制K大学ならではな行事といえるでしょう。
しかし…朝までやるというのがさすがにキツいみたいで、これに最後まで参加した学生は、次の日にムチャクチャ眠くなるというのがチト欠点かも。


 時間にルーズ、あまりにルーズ
K大学生の特徴として、時間にものすごくルーズだというのが挙げられます。
普通、こういうのは個人的な問題として上がるものですが、しかしK大学の場合、全体通して、時間に対してあまりにも気を使わないというか、だらしないというか、とにかくルーズなのです。
この大学では全寮制という事もあってか、よく講堂で集会などが開かれます。
また、学部単位での中規模の集会もよく開かれます。
しかし、その時決まって、定められた時間通りに集会は行われないのです。
例えば8時に集会があるので、全学生は8時までに必ず講堂に集まるようアナウンスがされたとします。
でも、実際に集会が始まるのはその数十分後。
大体私の経験としては、8時に集会がある場合、みなは8時になるとそろそろ行こうかとノロノロと準備を始め、寮を出て講堂に向かうのが8時10分〜15分くらい。
講堂に着くのが8時20分過ぎ。
まだ人はまばらで、ようやく大方揃い出すのが8時半くらい。
で、結局集会が始まるのは8時40分くらい、と。
万事が万事この調子ですから、次第にみんなこのような時間感覚が習慣となってしまい、私の同級生達の大半などは、しまいには絶対に早めに集会に行こうとはせず、わざと遅れてゆっくり行こうとする始末。
なんと時間にルーズ!
考えてみると、スゲェですな。
これをだらしないといわずして、なんと言うのでしょう。
とまあ、集会では20分30分以上遅れて開始されるのが当たり前のこのK大学生の時間感覚ですが、でも、なぜか朝と夕の点呼だけはちゃんと時間通りピッタリに行われているから不思議です。


 お前の傘はオレの傘、オレの傘はお前の傘
傘といえば忘れ物、紛失物ナンバーワンのアイテムといわれています。
ではK大学での傘の存在はというと、もちろん上に同じで忘れるのが当たり前で、雨上がりの日には教室や大学内のどこかしらで必ず誰かの忘れた傘が発見されます。
でもそれだけでなく、この大学では、傘は忘れ物として紛失するのと同時に、勝手に自分の傘を持ってかれる存在としても同じくらいポピュラーとなっています。
大体、物がすぐになくなるK大学寮ですから、使われる傘も2、300円程度で買える白のビニール傘が一般的となっています。
そして、そういう状況をいい事に、学生達は他のヤツの傘を勝手に持っていって使うのです。
特に顕著なのが、前日は晴れていたのに当日はいきなり雨がじゃじゃ降りな休みの日など。
自分の部屋のゲタ箱などにおいておいた傘が、朝起きたらいつのまにか無くなっているなんて日常茶飯事。
特に前述した安いビニール傘の場合、雨の日にはほぼ90%以上の確率でなくなる事必至です。
それ以外にも、講堂や教室での集会の時、他の学生達の傘がまとめて置かれている場所に自分の傘も置いておき、集会後に見たらつのまにか無くなっている、という事もよくあります。
まさしくこれこそ、物が無くなるK大学。
この大学では、傘は紛失物ナンバーワンの座だけでなく、盗難物ナンバーワンの座にも居座っているのです。
まあ、そんな傘盗難されまくりなわけですから、私は目立つ上に少し高そうな傘を使ったり、傘を隠すように保管したりなど、一応色々盗難防止手段を色々行っていたものですが。
ま、それでも無くなる時は無くなってたんですけどね。


 壁越えにも色々なテクニック
前回のエッセイで語りましたが、K大学の外壁には有刺鉄線、俗にいうトゲトゲワイヤーが巻かれています。
ちなみにこのトゲ付きワイヤー、外からの無断侵入者を防ぐだけでなく、学生達が無断で外に出ていくのを防ぐという目的も含まれているのがスゴイ。
実際、ワイヤーは外に向かって巻かれているのではなく、どちらかといえば中のほうに向かって巻かれているんですよね。
そんなわけですから、この大学では正門以外から外に出るのは非常に困難となっています。
しかし、外出制限がやたらに厳しいこの大学。
学生達の外出したいという要求がこんな程度で防げるはずもありません。
そう、時には、学生達は『壁越え』をして外に遊びに行くのです。
といっても、壁には有刺鉄線が巻かれており、鉄線で怪我してしまうので、おいそれと壁を乗り越える事は出来ません。
それに、壁越えがばれると大学側からキツーい処罰があります。
でも、外に出たい!という要求を抑えられない一部の学生達は、秘密裏に鉄線をなんとか乗り越え、外に出ようとするのです。
そして当然、それに伴いそれなりのテクニックが編み出されます。
例えば、鉄線の巻き方が甘い場所を探しそこから乗り越える、見付かりにくいところから壁越えをする、壁越えの時はセーターといったワイヤーのトゲに引っかかりやすい服は着ない、トゲに引っかかりにくいツルツルしたナイロン性のジャケットを着る、足から先に乗り越える、体が細い人はワイヤーの隙間を無理矢理くぐる、とげが刺さるのを我慢して無理矢理気合で乗り越える、など。
私も2度ほど壁越えをした事があり、ナイロンのジャケットを着る、ワイヤーの巻き方が甘い場所を探して超えるといったテクニックを活用した事がありますね。
もちろん、前述したように、この壁越えはバレると大学側から厳重な処罰が下されるので、それ以上はしませんでしたが。
というか、ぶっちゃけてしまうと、私は壁越えしたのがモロに大学側にバレてエライ目にあったことがあるので、それ以降はほとんどやらなかったんですがね(笑)
それにしても、(一部の学生が)有刺鉄線をいかにして乗り越えるかという事に尽力するなんて、なんかどこぞの刑務所の脱走計画みたいな話ですな。
ま、今から考えると、アホで楽しい思い出でした。


 ツバメの巣
K大学にはツバメの巣がやたらに多く存在します。
特に講義室のある棟にいっぱい見られ、ツバメの舞う季節になると棟の天上はツバメの巣でいっぱい。
ついでにピヨピヨと無くツバメの子供もうるさいくらいにいっぱい。
さらに、その子供にえさを与えるために大学の上空(ちょうど3〜4階の高さ)を舞っている親ツバメもそこら中にいっぱい。
なかなかほのぼのしてていい光景ですが、しかしツバメの巣は通り道に沢山あるせいか、油断すると落ちてきたツバメの糞が頭にかかるという事もあるので、けっこう侮れないものでした。


 居残り勉強ならぬ、居残り警備員
私の大学では大学の警備は学生達の手によって行われている、というのはすでに前回のエッセイで語りましたが、これはもちろん、夏休みや冬休み、春休みといった長期休み期間にも適応されています。
つまり、学生達(男子のみ)は、夏休み、冬休み、春休みの長期休みの間、強制的に学校に残って警備をしなくてはならない事になるのです。
K大学は遠い地方出身の学生の割合が多く、大多数の学生は地方出身だといっても過言ではないので、この強制居残り警備ははっきりいってキツいです。
単に警備をするという目的のためだけに、わざわざ何の楽しみも娯楽も無い寮に居残らされる。
ついでに同級生達はほとんど里帰りするので、寮自体に人はほとんど残ってないというおまけ付き。
なんということ。
あまりにもキビシいこの仕打ち。
…といってもその警備は無差別的に全男子学生に適応されるというわけではなく、さすがにある程度は大学側も考えています。
例えば、もっとも長い夏休みの場合、10日単位の5ターンに分けて警備が行われるというシステムになっていますが、休みの始まりと終わり間近のターンのみ地方出身の学生が警備をすることにし、中盤の3ターン分は大学近辺に住む学生達が警備をする事となっています。
大学近辺の学生達が警備する割合が増えるので少し気の毒ですが、しかし彼等は家が近いので家からの通いでする事が出来るし、またこうする事で、地方出身の学生はわざわざ夏休みの途中で大学に戻ってくる必要が無くなります。
他にも、警備をするのは1年と2年の学生だけで3年と4年には適応されないとか、夏休み期間は寮に帰る門限は決まっておらず、いつでも自由に寮を出入りできるフリーパス期間になっている(これは当然か…)とか、警備学生の食事は保証されている(これも当然か…)、など。
もっとも、地方出身の学生の場合、なんだかんだいっても警備だけのためにわざわざ大学に残らされるというのはやっぱりイヤなもので、不幸にも警備員に選抜されると、果てしなくヒマな休みを過ごすハメになります。
まあ、金があればそれでもパチンコに行ったりとある程度は遊ぶ事が出来るのですが、悲惨なのは金欠な学生。
猛烈になんにもやることが無いです。
大学には誰にもいないし、外に遊びに行こうにもお金がない。
果てしなく『化石』。
これ、金欠な学生のみならず、時には居残り警備期間が始まってすぐにパチンコで大負けこいてしまい、この金欠状態に陥る哀れな学生もいたりします。
まさしく向こう見ずな若気の至り、といえますな。
さて、この警備、私も当然1年の頃の夏休みには、最終ターンの10日間をやりました。
私の学部では、確かですね……この警備員の選抜はカブと呼ばれるくじ引きで決めていました。
カブについては後述しますが、今考えるとえらく手軽な手段で決めていたものだったなあ、と思いますね。
で、その時、私は夏休み終盤期間の警備をする事になりました。
といっても、私はその時お金には余裕があったし、そしてそのおかげでパチンコしまくってたし、また同時期に高校時代の柔道部後輩の試合が近くで行われていてそれを応援しに行ったりもしたので、特にそれほど苦痛ではありませんでしたが。
あ、警備自体は面倒でしたけど。
ちなみに先ほど2ターン目〜3ターン目の警備は大学近辺出身の学生が行うといいましたが、しかしそれでは大学近辺の学生の負担が大きすぎるという事で、2ターン目のみ地方出身の学生も選抜されます。
なので、地方出身の学生が2ターン目に選抜されると悲惨な目にあうことに。
合計20日もの期間を娯楽ゼロの大学で過ごすハメになるか、それとも一度実家に帰って2ターン目が始まる前にもう一度大学にとんぼ返りをするハメになるか、の二択を迫られます。
これを決めるカブをする時のみは、みんな恐ろしいまでに気合が入っていたもので、またこの期間の警備をカブで引き当ててしまった学生の落胆はものすごいものでした。


 授業をサボるのはけっこう難しい
K大学は全寮制であり、またその寮も大学の構内にあります。
つまり、授業や講義を受ける棟から寮までは非常に近いというわけですね。
例えば8号館の場合、教室から寮までその間、徒歩で僅か5分。
そんな立地条件というせいか、教室から寮、寮から教室まで行くのは非常に容易となっています。
ここで面白いのが、この立地条件が、授業によっては最大限に使われているという事。
この大学の授業は一応単位制ですが、しかし元々大学自体がそれほど大きくないせいか、同じ学部の学生の場合、専攻科目以外は、ほとんどみな同じ授業を受けます。
つまり、単位制の割にはみな同じ授業を受けるという、そこらの中学や高校と似たようなシステム下で授業が行われているわけですね。
このような感じなので、教授によってはかなり出席を厳しく取る教授もいます。
一応授業をサボろうと思えば、寮内でずっと寝っぱなしという事も可能となっていますが、しかし、前述したように出席を非常に厳しく取る教授の場合、うかつにサボってしまうと、出席を取っている時に『−−(サボってるヤツの名前)はどうした? サボりか? だったら誰か−−を呼んで来い』といって一人の学生をいちいち寮まで呼び出しに行かせるのです。
授業をサボってベッドでスヤスヤ寝てても、突然同級生から『おい、教授が出席しろってさ』と呼び出されるハメに。
なので、そういう出席にキビシい教授の授業の場合、サボる事は許されないという。
まさに寮が構内にあるK大学ならでは。
これぞK大学。
というか、こんなの他の大学では絶対見られない光景ですな。
ま、授業の出席が厳しいといっても、それが授業に参加する姿勢に反映されるわけではありませんが。
実際、授業に出席はしても半数以上の学生が、抗議を全然聞いてませんでしたし。
かくいう私も授業中の大半は寝てたり、本を読んだり、落書きしたりといった事ばっかりしてました。


 体育館の道場で異種格闘技戦
私の大学は体育会系の色が強く、中でも格闘技関係の熱も高かったものです。
大学内には空手部、テコンドー部、ボクシング部、柔道部といった格闘技系の部活がけっこうあり、レベルもそれなりに高かったです。
中には全国大会でかなりの成績を収める学生もいたものです。
こんな大学だったので、当然格闘技やプロレス好きのヤツらも多く、しばしば格闘技の話題で盛り上がったものです。
そしてそういった格闘技系(と室内競技)の部活の練習場は、全て大学の体育館内にあります。
そんなわけですから、当然というか必然というか、練習後に他の部活の道場などに遊びに行って異種格闘技戦もどきをしたりする事もよくありました。
私は柔道部であり、柔道部の部室というのは畳敷きとなっていたので、よく柔道部同士だけでなく、空手部とかが遊びにきて軽く異種格闘技戦もどきをしたりしました。
また、私自身もたまに空手部やボクシング部の部室に遊びに行って軽く打撃技を教えてもらったり、サンドバッグを叩かせてもらったりしました。
柔道部の部室では、バーリトゥードのシミュレーションや立ち技vs寝技の勝負、新たな関節技の開発、変わった投げ技の実践、打撃技の練習など、とにかく色々やったものです。
特に格闘マンガやプロレスの技を実践してみるというのが面白かったですね
他のエッセイでも書いた『キン肉バスター』の他に、『灘新影流巨蛸固め』、『地獄落とし』、『新卍固め』、『灘新影流飛翔閻魔固め』、『アーチェリーホールド』、『ロメロスペシャル』、『ムーンサルトプレス』、『投げっぱなしジャーマン』、『ギロチンドロップ』、『ノーザンライトスープレックス』、『パワーボム』、『スーパーバッククラッチホールド』、『地獄車』、『バックブリーカー』、『フランケンシュタイナー』、『ストライクスリー』、『2人でブレンバスター』、『ビッグアップルドライバー』、『首切り投げ』、『DDT』、『スプラッシュマウンテン』、『タイガードライバー』、『アグラツイスト』、『タワーブリッジ』、『ローリングクレイドル』、『ジャイアントスリング』、ETC…。
とにかく、楽しかったです。
なお、噂によると、実現はしませんでしたが、一度は大学内異種格闘オープントーナメントとかやってみてはどうか、という意見が持ちあがった事もあったらしいです。
中にはモンのスゴイ強い学生もいたので、実際にこんなトーナメントやってたら、すごいことになってたかもしれないですなあ。


 究極のくじ引き、カブ
多人数が集まって誰がするか、どれを取るかといったちょっとした物事が決まらない時、人はえてして簡易的なくじ引きのような行為を行うものです。
例えばジャンケン、コイントスなど。
私の大学の場合、このような簡易くじ引きとして最もよく使われていた手段だったのが、『カブ』と呼ばれる数字あわせでした。
もとはトランプのゲームから来たものです。
『カブ』のルールは非常にシンプル。
ある程度のページ数のある本を適当に開いて、その左下に記されたページ数の合計が9(もしくは末尾が9)にするというもの。
で、合計数9を引いた者、あるいは合計数が9に一番近い者の勝ちという。
例えば2人でカブをやって、前者が215ページ、後者が359ページを引いたなら、前者の合計が8、後者の合計が17となり、前者の数字の末尾がより9に近いので、前者の勝ちとなります。
これが『カブ』です。
ルールがシンプルな上に公平、そしてわずか数秒で勝負がつく。
本一冊あればいつでもどこでも出来るという、まさに大学ならではのゲーム。
私の大学では、ありとあらゆる決め事を公平にこの『カブ』似よって決定していました。
掃除当番は言うに及ばず、課題の担当、レポート発表、借り物の優先権、ジュースのパシリ決め、メシの代金、何かの順番など、とにかく事あるごとにすぐに『カブ』で順番や雌雄を決するという。
時には前述した夏休み期間の警備の順番決めなど、ものすごく重要な事項ですらもこのカブで決定する事があり、そんな時のカブはとんでもなく緊張感漂うものになります。
本を開く瞬間に『ファァッッ!!』と叫ぶヤツや、本を開く前にいちいち『キェェーーッッ!!』と全身に力をこめて気合を入れて精神統一するヤツなど、端から見たらかなりアホな事をしたりも。
ま、そんな時はえてして336とか244といった『ブタ』を引いてしまうものですが。
もちろん、ブタを引いてしまったときは『ギャァーース!』と絶叫を上げてしまうのはお約束。


 究極のページワン
前回のエッセイで言いましたが、私の大学で最もポピュラーな娯楽といえば、トランプです。
それも、『ページワン』と呼ばれるゲーム。
トランプといえば多種多様なゲームが楽しめるものですが、しかし私の大学ではなぜかどの学生もやるゲームといえば『ページワン』オンリーでした。
もちろん、上の『カブ』と同じように、ジュース、メシ、パシリなどを賭けて行う事も日常茶飯事。
そして、時には数時間もページワン、徹夜でページワンをする事もあったりします。
う〜ん、アホだ。
まあでも、それくらいみながみなページワンやりまくってたので、ページワンのレベルはとてつもなく高かったです。
技術的な面は煮詰まるほど高められ、そしてそこから超絶な心理戦が展開される事も。
2を温存しておく、あるカードを持っている振りしてフェイントをかける、捨てられたカードを全て記憶しておく、残り一枚になったら出す降りをしてプレッシャーをかける、一枚だけ配って瞬間で勝負をつけるなど、もうそれはそれは高等技術(?)のオンパレード。
入ってきたばかりの後輩は、先輩達に必ずカモられる事必至でした。
そんなページワンしまくりな状態でしたので、次第にK大学のページワンはトランプの本などに載っている本来の正式ルールから外れて、いつの間にやらK大学ローカルルールで形成されていたというのはお約束。
いちど、大学の同級生ではない他の知り合いと、ふとしたきっかけでページワンをした事があるのですが、あまりにK大学のローカルルールが本来のルールとは変わりすぎており、そしてまた私がそのローカルルールに慣れすぎていたせいで、普通のページワンが全然まともにプレイできませんでした。


 ザ・研修
K大学の私の学部では、在学中の課題の一環として、海外のある国に行っての長期研修があります。
期間にしておおよそ数ヶ月と時間的にはかなり長いのですが、でも一応これは卒業課題の一環なので、行かないと卒業が出来ないようになっています。
つまり、いうなれば学部の全学生が参加しなければならないということですね。
ただ、ちょっと大学のプライバシーに関する事なんかも含まれるので、研修の詳しい内容を語る事は出来ません。
また、仮に語ったところで学術的な内容ばかりなのでつまらない話になると思いますので、ここでは、研修期間にあったちょっと変わった経験を少しばかり語ってみようかと思います。


 レンガを割った同級生
さて、かなり上の方でブロックを割る同級生のエピソードを語りましたが、今度は研修先で、手刀にてレンガを割った同級生の話でもしましょうか。
あ、ちなみにブロックを割った同級生とは別の人というのをあらかじめ言っておきます。
ここではCさんとしておきましょう。
研修先では、ある小学校で教育実習みたいな事もします。
教育実習は大体2〜3週間ほどあるのですが、その期間は現地の小学校の子供達と付きっきりでイロイロな事します。
で、そのCさんですが、彼もHさんと同じく、空手をしており、また有段者でもありました。
小学校のクラスの子達に慕われながら研修を過ごしていたCさんですが、ある日、彼はその小学生達におだてられて、レンガ割りをする事になりました。
しかし、板割りなら経験あるけどレンガ割りなんて経験の無い彼は、割れるかどうか内心不安。
でも、尊敬のまなざしで小学生達に見られ、そしておだてられた手前出来ないとも言えない。
彼は内心で一大決心をし、手にかなりの力を込めてレンガに手刀を振り下ろしました。
見事にレンガは粉砕!
でも、レンガをムリして割ったせいか、彼の手も粉砕!
…手の骨が骨折してしまい、全治3〜4週間となってしまいました。
しかし、彼は体裁を守るためだったのか、それともカッコつけたかったのか、その日一日、小学生達と別れるまでは、根性で手が骨折したというのを隠し通したのです。
さすがに次の日からは、手を固定したためすぐに小学生達に骨折がバレてしまいましたが、でも、彼はレンガを割ったその当日は、ずっと骨折したというのを我慢して最後まで隠し通し切ったのです。
かなり根性者といえますな。
当日は、骨折した手で運動もしたとかしなかったとか。
痛くてしかたなかっただろうなあ。
まあ、言い替えると彼は意地っ張りだったともいえますかな。


 ネズミと大バトル in 研修先
研修先では研修生専用の宿泊所があり、私達はそこで寝泊りしていたのですが、しかし海外での研修という事もあってか、研修所では私の大学の寮でもできないような色々な体験をしたものです。
研修所の住まいはけっこう良く、設備自体は私の大学の寮よりもいいくらいでした。
食事もちゃんと出ますし、また各部屋にシャワーとトイレも完備されているなど、ぱっと見では大学の寮よりも住みやすいくらい。
ですが、そこはなんだかんだいっても海外。
この研修所では、ネズミが出没したのです。
それも頻繁に。
目の当たりした事こそほとんどありませんでしたが、しかし研修所内にしょっちゅう出没していたようです。
事実、同級生達が保存していたお菓子や食べ物、カップラーメンなどの食料類がいつの間にやら食い散らかされるということがよくありました。
時には、ぱっと見では全然散らかってないのに、実際にはネズミどもに底の方から穴が開けられ中身がすっかり無くなっていたという事もあったくらいです。
つまり、ネズミは目立たないところから穴をあけて中だけ食い尽くしたというわけですね。
セコイぞ。
研修所にいる間、そんな被害が多数出ていたため、私を含めた同級生達のネズミに対する憎しみは相当なものとなっていました。
そんな折、ある日、研修所の部屋の中で、同級生の一人がネズミを一匹発見しました。
そいつはすかさず『ネズミや!ネズミが出よった!!』と叫び、私を含む他の同級生数人を召集、そしてドアと窓をがっちり閉め、ネズミが逃げられないようにしたのです。
私達は捕まえようとしましたが、しかしネズミは素早く、また机や棚などの物陰に素早く隠れてしまうので、なかなか捕まえられない。
しかし、研修所で被害にあいまくっていたせいか、ネズミに対する憎しみが人一倍強い我々は、どうにかしてネズミを捕まえて恨みを晴らしてやろうと必至こいていたのです。
そして考えたのが、隠れている場所にポットのお湯をぶっかけて、外に誘導する方法。
小さなカップにポットからの熱湯を注ぎ、ネズミが隠れている場所に一斉にぶちまけました。
もちろん、棒などで突っついたりするのも忘れず実行。
結果、ネズミはたまらずその隙間から這い出てきました。
その時!
同級生の一人が、3〜40センチ四方、厚さ10センチ前後の木箱のふたを、床を逃げ回るネズミにかぶせて、見事捕獲したのです。
ちなみにその際にネズミを見たのですが、尻尾を抜いた体長おおよそ20〜25センチくらいの、日本ではまず見られないくらいドデカいネズミでした。
さて、何とか木箱のふたをかぶせてネズミを捕獲したはいいけど、これからどうするか。
ふたを開けると逃げられるし、かといってそのままではらちがあかない。
そこでとりあえず、そのふたを思いきり左右に振りまくることにしました。 もちろんネズミをかぶせたまま。
超絶な憎しみを込めて思い切りブンブンふたを左右に降りまわし、ネズミをふたの中でもみくちゃにしたのです。
振っている最中にネズミの尻尾がふたの隙間から出てきたので、そのシッポをふたでギュウギュウ挟みまくったり、足で踏みまくったりもしました。
次第にネズミは弱ってきたようで、あまり逃げようとはしなくなったので、今度は少しふたを開けて頭部をふたの外に出すようにしました。
そしてその顔めがけて、ヘアースプレー+ライターによる火炎放射。
ふた振りによるもみくちゃ、シッポへの攻撃、顔面の火炎放射という3連コンボ(しかも各々をたっぷりと)を食らったネズミはさすがにかなり衰弱し、もはや逃げる事すらままならない状態に。
しかしみなの憤怒はまだ収まらない。
最後にみなでネズミをベランダに転がし出して、トイレットペーパーをまきつけ、そしてライターで点火。
丸焦げこそなりませんでしたが、しかしそれでもかなり燃えたようで、さすがに生命力の強いといわれるネズミも完全に死亡。
あの時は私を含め、みんなかなり気分がスッとしたものです。
これを読んでて少し残酷だと思う人もいるかもしれませんが、しかし研修所ではネズミによる被害が本当に深刻だったし、そして上記のような事を出来るくらい、皆のネズミに対する憎しみはすごかったという事です。
いやはや、まさしく食べ物の恨みは恐ろしい、というやつですな。
それにしても、体長20〜25センチとは、今考えると相当にデカいネズミだったなあ。


 ろうそくで勉強したぞ
研修所は大学の寮に比べて部屋も広く、比較的よい設備でしたが、しかしやはり海外という事もあってか、便利極まる日本の住まいとは大分違っていたものです。
中でも如実なのは、キビシい冬場になると電気が点かなくなる事も多かった、つまり停電になることが多かった、というのですか。
研修所がさびれた郊外に位置しているというのもあってか、特に寒い真冬になると、電気の供給が突然長時間切れてしまうというのは日常茶飯事で、夕方からこれが起こると、研修所内はひたすら真っ暗闇に。
なので、学生達は懐中電灯を所持するのが必須でした。
まあそれでも、研修の講義や討論などは昼間に行われるので別段問題ないのですが、しかし問題なのは、夜の勉強時間。
停電になると、真っ暗で数メートル先も見えない状態。
そして研修所がさびれた郊外にあるので、街灯の光もほとんど無し。
そんな四方八方暗闇な状態ですが、しかし勉強はしなければならない。
しょうがないので、私達はろうそくを使って勉強してました。
外出時間内(研修時は大学の寮よりも外出時間が厳しく制限されている)に太目のろうそくを大量に買い込み、停電になってしまったら、そのろうそくを点けて勉強するのです。
当然、ろうそくの光なんて蛍光灯などに比べればとても弱々しく、見辛いことこの上ない。
でもそれしか頼れる光が無いので、見辛くてもろうそくの光で勉強するしかありません。
真冬には2〜3日に一度のペースで完全停電となっていたもので、ろうそくを使っての勉強も本当によくやったものです。
薄暗いろうそくの光で数時間もの間勉強するのは、なかなかにツラかったものです。
終戦直後の物の無かった日本では、学生達がろうそくで勉強をする事もよくあったらしいですが、まさかそれを現実に体験できる事になろうとは、夢にも思いませんでしたね。
まあでも、この体験を通して、貧しい時代にはどのような勉強風景だったのかというをちょっとばかり実感した気がしますし、また同時に夜に電気の光がいつでもどこでも溢れているというのがどれほどすばらしく幸せな状況なのかというのを、痛感する事が出来たのではないかと思います。


 冷蔵庫が止まったので、外で冷やす
上記のように、冬になるとしばしば電気が止まる研修所でしたが、それは当然電灯だけではありません。
研修所の学生達の部屋は4人部屋で、各部屋にはポットや冷蔵庫が設置されています。
が、しかし電気が止まると、当然この機械類は使用できなくなります。
学生達はみなビールが好きで、週末に飲むようとして結構な数のビールを買いこみ、冷蔵庫に保管していたのですが、しかし冬場は停電があまりに頻繁に起こるので、はっきり言って冷蔵庫は大して役に立たないという始末。
ではどうするかというと、ビールや飲み物の類は、ベランダの外に置いておくのです。
その国の冬は日本に比べて遥かに寒く、真冬になるとマイナス10度以下になることも当たり前。
そんなわけなので、冬場は下手に冷蔵庫を使うよりも外で冷やした方が効率よく物を冷やせるのです。
つまり、外気にさらすのが冷蔵庫代わりというわけですね。
…しかし、外の気温はマイナスが当たり前であり、もはや冷蔵庫というよりも冷凍庫な状態。
ビールやその他の飲料を置いておくと、軒並み凍ってしまいます。
しょうがないので、外に置いた飲料を、頃合とタイミングを見計らって取り込む、と。
しかしタイミングを見誤ったら、カチカチに凍ってしまいます。
まあ、ジュースなどの飲料の場合はいいけど、問題はビール。
凍ってしまってシャリシャリのシャーベット状態。
キンキンに冷えたビールをゴキュゴキュ飲むというのはよくある光景ですが、しかしカチカチに凍ったビールシャリシャリ飲む(かき氷のように食べる?)なんて、普通は絶対にやらないものなので、そういう意味でいえば、貴重な体験をしたといえるかも…?


 ヒーターは無いと思え
研修時に宿泊していた研修所は停電がしばしば起こっていたというのはすでに上で語りましたが、これはとどのつまり、真冬になると気候が厳しいという影響か、研修所は慢性的なエネルギー不足になるという事も意味していました。
つまり、部屋の電気だけでなく、全般的なエネルギーを使うものが上手く作動しない、という。
その中でも一番深刻だったのが、ヒーターです。
研修所近辺は真冬になるとマイナス10度以下が当たり前となっているため、もうそれはそれは寒いもので、薄着で外にいたらまず間違い無く凍死は確実。
一応研修所の各部屋にはヒーターがついているのですが、しかしこの研修所は前述したように停電が当たり前な状況下なので、はっきり言ってヒーターなんぞ全然あてにはならないという状態。
ぶっちゃけたハナシ、ヒーターは作動している日よりも作動してない日の方が多いくらい。
もちろんストーブなんぞもありゃしません。
室内のくせに、研修所は常に寒々な気温が当たり前でした。
そんなわけなので、冬場は常に厚着をするのが基本であり、室内なのにジャケットやウィンドブレーカーをモコモコ着込むなんてのも日常茶飯事。
もちろん、寝る時も三枚くらい服を着込んで寝るのはお約束。
当然昼間も激烈に寒まっている状態なので、講義を聞いたり討論会をしたりする時もジャケットやドカジャン(分厚い土方ジャンパー)などを着まくるのが当たり前な状態。
あまりに寒い場合、毛布にくるまって講義を聞くなんて事もありました。
当時は寒さをこらえるのに必死だったので特に意識してなかったのですが、しかし今考えると相当にスゴイ光景だったかも。
ドカジャンやジャケットなどをモコモコに着込んで、そして時には毛布にくるまってブルブル寒さに震えつつ講義を受けるなんてねえ……。
かなり珍しいかも。


 水で頭を洗うと頭痛がします
研修所では停電の多さに悩まされていたものですが、同様に、お湯が出ないというのにも悩まされていたものです。
一応お湯はそれなりに出るようになっていたらしいのですが、しかし寒さが厳しい日などの場合、お湯が少ししか出ない、もしくはまったく出ないということもあったのです。
ただでさえ寒くて震えまくりな研修所内での暮らしなのに、この追い討ち。
お湯の出ない状態が何日も続くというケースもあり、そうなると当然その間は、水で無理矢理体を洗うハメになります。
まあ、さすがに水で体を洗うという自殺行為さながらな行為をするヤツこそはいませんでしたが、しかし水で頭を洗うヤツはよくいました。
もちろん、私もよく水で頭を洗っていたものです。
外は零下10度以下、そして室内も外ほどではないにしろ、厚着をしないと寒くてたまらないという気温(おおよそ0度近く)
当然、洗面所の水は凍りそうに冷たく、これで頭を洗うのは、思い出しただけでも寒気がします。
いや、痛みがくるというべきか。
低い気温の中、猛烈に冷たい水で髪を洗うと、冷たい感触を通り越して頭に痛みが来るんですよね。
例えるなら、かき氷を大量に食った時に感じる猛烈な頭痛が頭の表面で起こったような感じかな。
ま、それでもお湯が出ない以上は我慢してこのキンキンに冷たい水で頭を洗うしかありません。
痛みを我慢して頭を洗います。
ちなみに水で頭を洗うとお湯でやったときよりも汚れが落ちにくく、また毛髪が抜けやすいような気がするんですが、どうなんでしょうね。
ついでに洗い終わっても頭が痛いのであんまり気持ちよくないし。


 超絶!ビール瓶切り!
研修期間が終わる頃、私達は研修所で打ち上げパーティーをやりました。
酒(ビール)を飲み、食べ物を食べ、そしてゲーム大会、各自の隠し芸大会みたいなものもしました。
そこでいまだにものすごく印象に残っているのが、研修所で働いていたある一人の事務員のおじさんがやった隠し芸。
彼は若い頃軍隊にいたことがあったという事で、ついでにその時に空手のようなものもやっていて、かなりの実力者だったらしいです。
そんな彼の見せた隠し芸は、ビール瓶切り。
『瓶切りをお見せしましょう』といって、彼はそこらにあったビール瓶を一本、台の上に置きました。
そしてちょっと前のめりな体勢になり、『フンッ!』という軽い掛け声とともに逆水平手刀一閃!!
瓶の上部がスパーンとふっとぶ!!
おみごと!!瓶切り成功!!
あとでその瓶を見ましたが、すばらしい切り口。
まさかこの目で瓶切りを見れるなんて。
しかも高名な人ではなく、一介の事務員がそれをやってのけた。
いやはや、世界は広いなと思いましたよ。
ちなみに打ち上げパーティーの後、空手をやっている同級生(けっこう強い)がそれに触発されて、『オレもやってみよう』といってビール瓶切りを実践してみたところ、見事に失敗しました。
瓶はコナゴナに砕け散り、ついでに手も瓶の破片で血まみれ。
改めて、そのおじさんの凄さ、そして達人のすさまじさを痛感しました。


 犯人はこの中にいる!
研修中に起きた体験の中でかなり印象深いのが、『ルパン』エピソードです。
私の大学の寮では物がよく無くなる、というのは前回のエッセイでも語ったことがあるのですでに知っていると思いますが、その際、物を盗むヤツの事もしくは物を盗む事自体の事を総じて『ルパン』と呼んでいました。
例えばベッドに置いていた財布の中身が無くなっていると『ルパンされた!』『誰だルパンは!?』など。
まあでも、物がよくなくなるのが当たり前の寮内なので、適当な安物が無くなってもそれほど気にはなりません。
それに、ちょっとした物が盗まれた場合は、それは勝手に使ってどこかに置き忘れたとか、使っているうちに無くしてしまった、借りたの忘れてた、といったある程度納得の行く理由付けがあるので、『まあしかたないな』で済ます事が出来ます。
ですが、これがお金の場合は、明かに盗難なのでそうはいかない。
大学の寮内は自分の住まいといえる場所なので、気を緩めて財布をベッドやそこらに置きっぱなしにしている学生はよくいたものですが、しかしプライバシーなど存在しないこの寮においては、それはかなり危険な行為。
一応盗難防止のため、寮内では各自、財布を肌身離さず持ち歩くのがセオリーとなっていたものですが、しかしごった煮感の強いこの寮内において、財布を肌身離さず四六時中持ちつづけるというのを完璧に実践するのはまず不可能。
自分の住まいなのですから、いくら注意してても、やっぱり一度や二度は気が緩んでどこかに財布やお金を放置してしまうものです。
で、その結果、当然の如く起きるのが、お金の盗難。
小銭程度なら特に問題ないけど、数千円や数万円単位のお金が誰かに盗られるという事もありました。
かくいう私も、1万5千円、3万円、2万円と、4年間で3度ほど大金を盗まれた事があります。
考えてみれば寮は数十人数百人が一つの寮内で狭々と暮らすというタコ部屋みたいな住まいですから、そのような事が起きるのは当然自明の理。
まあ、プライバシーなど無く、誰でも他人のベッドや机をいじる事が可能な寮なので、ほとんどの場合犯人を特定するのは不可能なのですが、しかしそんな中、同級生の中に『ルパン』容疑の非常に強いヤツが一人いました。
一応確固たる証拠が無く、他の学生でも十分盗難は可能なので、大学の寮内ではまだ騒ぎにはならなかったんですよね。

……と、ちょっと前置きが長くなりましたが、ここで話を研修所に戻します。
実は研修期間中、研修所でも『ルパン』事件が起きたのです。
この研修は、私の学部の全同級生達数十名のみで行われるもので、したがって他の学年や他の学部といった部外者はいません。
つまり、犯人は確実に私の同級生達の中にいたということです。
で、それぞれの講堂や部屋の位置関係を追求していた結果、先ほど出したルパン容疑の強い同級生が一人、犯人と断定されました。
ここではそいつの頭文字を取って、そいつの名前をYとしておきましょう。
他の同級生達の証言によると、研修所内での盗難事件はすでに数件に上っており、そしてそのどれもがYの行動可能な時間帯、立地条件のものと行われたという。
色々紆余曲折あった結果、結局Yの悪行が明るみに出て、みなで問い詰めたらYは白状しました。
話によると、Yは小学校時代からこのようなお金の盗難を頻繁に繰り返していたという。
なんてヤツだ。
尋問したら色々な盗難事件の真相が明るみに出てきて、凄かったです。
なんでも、大学時代に行った明るみに出たやつだけでも、合計150万円くらいやったとか。
他に判明していないやつも合わせると、一体いくらになるのか。
しかもこれでは終わりません。
このYというヤツは単に盗難を繰り返すだけでなく、これをカモフラージュするための無駄な抵抗ともおもえる行為をやりまくっていたのです。
例えば、研修所で盗難行為がまだ明るみに出る前、つまりみなに尋問される前の時期、Yはうすうす自分の事がバレそうだと思っていたのか、毎日つけていた日記帳に
『みんなが俺を疑っているみたいだ。 悲しい』
『何にもしてないのに、なんでこんなに猜疑の目で見られるんだろうか』
といった自己弁護の文を日記にあからさまに書いていたという。
しかも、その日記帳もわざわざ他のやつに見えやすいよう、他の人からすぐ目に入るような場所にそのページの部分を『開いて』置いておくという策士ぶり。
ま、そんなのを見ても誰も信用してなかったんですが。
それどころか、後の尋問の時に他の同級生からこの証言があったとき、みなの怒りの火に油を注ぐという結果になったという。
まだあります。
盗難行為が明るみに出て、みなは数人でYを問い詰めました。
尋問は数時間にも及び、夜通し行われていました。
殴ったり睨んだり叫んだりなど、ありとあらゆる尋問手段のオンパレード。
Yもそれによりある程度は白状してましたが、しかしなかなか全部を吐こうとはしませんでした。
で、何度も何度も夜通し尋問が行われました。
尋問の際、Yから色々な電波発言があったのですが、中でも凄かったのはこれ、時間にして朝の5時くらいになった時に、そろそろ開放されると思ったYが、突然『今までのは全てウソだった』という支離滅裂かつ意味不明なカミングアウトをしたということですね。
そして、『なぜなら、自分が犯人だったと言わないと、みなは絶対に納得しないだろうと思ってたから、あえて自分は犯人だったとウソをついた』と続けて言い放ちました。
スゴイ超電波発言。
はっきり言ってYはアホでしたね。
色々盗難行為を白状しておきながら、いきなりそれを否定するかのようなワケのわからない事を主張。
それ以前に、仮にYがやってないとしたら、自分がやってない犯罪行為をやったと肯定する事に何の得があるんだか。
これがさらにみなの怒りの火にガソリンを注ぐ結果となり、しまいにはみなでYをボコボコに。
まあ、さすがに全員で一斉にフクロやリンチをしたというわけではなく、尋問の際に怒りに震えた各人が各々数発殴る、というものでした。
ちなみに私も怒りに震えて、Yの腕や指を間接技で折ってしまいそうになったこともありましたが、さすがにそれは他の同級生に止められました。
でも、力を込めた超ゲンコツを頭部に2発と、全体中を乗せたエルボーを頭と背中に3発ほどはカマしましたが。
とりあえずみながそんな調子だったので、結局Yは殴られまくってしまいにはあちこち打撲、顔面が変形するという結果に。
で、最終的にはYだけ研修を中止し、日本に強制送還されることに。
撃ち合い後のボクサーのようにボコボコに変形してパンパンに腫らした顔面のYがバスに乗って研修所を後にしましたが、みなは『あーせいせいした』や『あいつの面は金輪際見たくも無い』といった思いばかりで、同情する人など皆無だったと思います。
結局Yはその後大学も退学になったようで、研修が終わって日本に帰った私達は、それ以降一度もYを見ることはありませんでした。
話によると、今まで盗んだ金を弁償するために働いているとかいないとか。
ま、結局Yはその後どうなったのか分かりません。
なお、この文章を読んだ人の中には、ボコられたYがかわいそうに感じる人もいるかもしれませんが、しかし金を取られた当人からすれば、金を取られた上にそれに対して反省無くしらばっくれる態度を取るY煮大して、はっきり言ってあれでも足りないくらいだったんですよね。
結局盗まれた金は戻ってこなかったし。
ところで、多分大学内で起きた盗難事件の犯人は、Yだけでなくおそらく他にも沢山いたと思います。
まあ考えてみれば当然なんですが、しかし、Yのしらばっくれた態度を見ていると、全ての事件の責任をYに押し付けたくなったものです。


というわけで、『私の大学はこんなところその2』いかがでした?
かなりの量を書きましたが、これでおおよそ書ける事は書いたと思います。
他にももっと色々書きたい事もあるにはあるのですが、しかしそれらは大学を知っている内輪でのみ分かるネタや、ちょっとヤバいネタばかりなので、それらを書くのはちょっと自制しておきます
私は他の普通の大学生活はやったこと無いので、他の大学と詳しく比べる事は出来ませんが、しかしそれを差し置いても、上に書いた内容は、一般的に見てこのK大学の生活はかなり特異で奇妙で奇天烈でストレンジでファニーなものだったんじゃないかな、と感じてます。

ただしかし、誤解のないよう言っておきたいのは、このような大学で4年間を過ごした私ですが、決してツライ大学時代だったのではなかったという事です。
実のところ住めば都というように、入学当初こそけっこう辛いものでしたが、慣れるとかなり楽しい大学生活を送っていました。
確かに色々苦しいイヤな事も沢山あったけど、しかし今思うと本当に楽しい学園生活だったと思います。
実際、私の学生生活の中で最も印象深くて忘れられないものは、小学校生活でも中学生活でも高校生活でもなく、この大学時代の生活だったと言えますし。
もちろん時期的に一番新しい記憶なので、大学時代が最も印象に残っているというのもあります。
が、しかしそれ以上に全寮制というシステムが、中学高校時代よりもことさ思い出深いものとなっているのではないか、という気がします。
全ての同級生が同じ寮に住み、同じメシを食い、同じ生活をする。
同じ釜の飯を食った仲といいますが、同級生達と密着したこの寮の生活がまさにそれ。
他の凡百な大学では絶対に味わえない、とても貴重な体験が出来ました。

楽しく、そして充実した大学生活でした。