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もしもあの人が、あの発明や発見をしなかったら…?

 

2003年5月18日

もしもあの人が、あの発明や発見をしなかったら…?

もしもニュートンが万有引力の法則を発見しなかったら?
もしもベルが電話を発明しなかったら?
もしもノーベルがダイナマイトを発明しなかったら?
もしもライト兄弟が動力飛行の飛行機を作らなかったら?
もしもショックレーが半導体(トランジスタ)を発明しなかったら?
もしもアインシュタインが相対性理論を確立しなかったら?
もしもパスカルがパスカルの原理を発見しなかったら?
もしもベンツが自動車を発明しなかったら?
もしもレントゲンがX線を発見しなかったら?
もしもエジソンが電灯を発明しなかったら?
ETC…

一体人類はどうなっていただろうか。
今とはどれほど世界が変わっていただろうか。
そして、一体どれほど歴史が変わっていただろうか。
という疑問を、多少なりとも持った事のある人はいるはず。
私も同様の事を、以前に何度か考えた事があり、そして今回もある本を読みながらふと思い浮かびました。
では実際の所、例えばタイムマシンなどを使って、エジソンやニュートンを、それらの発明(発見)をする前に殺してしまったら、はたしてどうなってしまうのか?


まあ、実際に確認する事などは絶対に不可能なんですが、とりあえず私の意見としては、もしも上記のような歴史的な人物が、歴史的な発明や発見を成さなかったとしても、最終的にはあんまり変わらないんじゃないかな、と思ってます。
ちょっと分かりにくい言い回しですね。
ここでいいう『あんまり変わらない』というのは、仮に彼の人達がそのような歴史的な発明をしなかったとしても、どこかの誰かがそれと似たような、あるいは全く同様の発明や発見を、時間の遅れこそあれ、他の場所で必ず成し遂げているだろう、という事。
つまり、歴史的な発明や発見は、別の人、別の時間でもたらされるのではないか、と考えているわけです。


この仮定の根拠となる、具体的な例を挙げてみましょう。
といっても、現実にはありえない話なので、あくまで私の考える仮説ですが…。

映画や小説、マンガ、ゲームなどで、タイトルも製作者も全然違うのに、内容が偶然似たようなあるいは同様なモノになってしまった、というのがあります。
いわゆる、『ネタがかぶった』というやつ。
まあ、実際には、どこかに存在する元となったアイデアの話や噂を見たり聞いたりして、それの(意識的にしろ無意識的にしろ関係成しに)影響を受け、そしてそれに近いアイデアを出すというケースが大多数を占めていますが、しかし元のアイデアを全く知らずに思いついた内容やストーリー、展開、システムなどが、偶然どこかにある既存のものに似てしまってた、という例も決して少なくないです。
誰しも、独創的なアイデアを思いついて大はしゃぎしたけど、後にそれが既に何年も前に考えられていたアイデアだと知って、『なんだ、いいアイデアだと思ったのに。 残念』とガックリした経験、少なからずあるはず。
地球上に人間は数十億もいるのだから、特定のアイデアが他の人のものとかぶるのは当たり前であり、極端な話、むしろ今まで誰も1度たりとも考え付かなかったようなアイデアを新たも考え出す方が難しいのでは。
まあ実際には、既存のアイデアを『これまで世に出た事があるものだけ』と限定した場合、それほど難しくないでしょう。
がしかし、既存となるアイデアを、実際に世に出て使われた(採用された)ものだけではなく、ある人が少しでも考えたことがあるものや、ある人が僅かにでもイメージした事がある物も含む、つまり机上のアイデア段階で終ってしまったものも含めなければならないと考えた場合、真の意味で『誰も微塵も想像すらしなかった斬新なアイデア』というのは、これはもう数えるほどしかないんじゃないでしょうか。
映画や小説などで『斬新なストーリー』といわれているものでも、必ず誰かどこかで似たような時には全く同じストーリーを、使ったことはないにせよ、多少なりとも考えた事はある人はいるでしょう。 中には、単に世に出なかっただけで、実は同じようなストーリーを高層したことがある、というケースも少なくありません。
誰しも1度は『今までにない展開、斬新なストーリー』といわれている映画や小説などを見て、『なーんだ、昔自分が考えた事あるネタじゃないか、もう知ってるよ。 斬新でもなんでもないよ、これ』というような経験した事はあるはず。
つまり、よく言われている斬新なアイデアというのは、斬新と思われてはいるけど、実際には、すでに多くの人が1度は考えた事のあるネタだということです。
ただ単に、それを現実に実践しなかった人がいなかっただけか、それとも誰も実践しようとしなかったのか、あるいはタイミングよく広く世に出したのがたまたまその人だったか、というだけで。
したがって、もしもその人がそのアイデアを出さなかったとしても、おそらく違う形で他の人が後に世に出していたことでしょう。

そしてそれは映画や小説といったストーリーの面だけではなく、科学的な発明や発見などにおいても、上でも挙げたような斬新だと思っていたアイデアが実は既存のものだった、あるいは世には出なかったが以前にも既に存在していた、という例は多いものです。
具体的な例として、こんなものがあります。

・紀元前3650年頃、中国の黄帝は、体内の血は心臓の支配下にあり、絶えず循環していると書いた。
ハーベイが1616年に、その節を立証する5千年以上も昔の事。

・電話の発明者はベルだが、それとほとんど同じ内容の特許申請書類がエリシャ・グレイから数時間遅れて特許庁に届いた。
ベルの感想は、『奇妙なようだが、別な場所で、別な人が、ほとんど同時に同じ発明をする事も多いようだ』。

・ドイツの数学者ガウス(1777-1855)は、シベリアの草原に、植林によって巨大な形の、ピタゴラスの定理を描くように提案した。 他星人が見て、文化があると知るだろうと。
オーストリアの学者ソットローも同じ目的で、サハラ砂漠で大きな円形や正方形で火をたく事を提案した。 1840年に。

・非ユークリッド幾何学を開拓して有名になったボヤイは、ハンガリー貴族の典型で、剣とバイオリンの名手でもあった。
彼は13人の剣の使い手と順に対戦しその間にバイオリンを奏で、全員を倒した事があった。
しかし、後にドイツの数学者ガウスが、それ以前に同じことを考えながら、発表しないでいた事を知り、自己を恥じて、数学の研究から遠ざかった。

・アメリカの学生チャールズ・ホールは、科学の教授の話を聞いた。 アルミニウムの精錬法を確立したら、大もうけできるだろうと。
ホールは自宅の研究室で、そう日数をかけずに実験を成功させ、財産を作った。 1886年の事である。
同じ年に、フランスの科学者ポール・エルーも、同じ精錬法を発見した。

・地球が丸いと主張したのは、コロンブスだけではない。 スペインの宮廷での討論は、丸いのを前提として、その大きさに関してだった。 対立者達は、コロンブスは小さく考えすぎていて、欧州から東洋までの航海は無理だといった。
そして、それは正しかった。
途中に未知の新大陸(アメリカ大陸)が無かったら、あきらめて戻ったか、消息不明になってただろう。

・1849年、ウイリアム・ハントは安全ピンを発明し、大もうけした。
後の調査によると、紀元前7世紀の古代エトルリア人は、黄金製の同様の品を使用していた。

このように、新しいアイデアや発明、発見だったと思われていたものが、既に他の場所で存在していたものだったり、あるいは同時期に他の人によって行われていたという話は、結構多いものです。
時には、上でも書いたように、数千年も昔に使われていたものが、最近になって別の人が新たに発見する、という事も。
つまり、発明や発見などは、例え冒頭で書いたような有名人達が発見しなかったとしても、遅かれ早かれ、後に誰かが気付いて発明、発見するだろうという事です。

第2次大戦後、アメリカとロシアの宇宙開発技術の競争がありましたが、これなども分かりやすいいい例なのでは。
最初にロシアが有人宇宙飛行を実現し、数年後にアメリカがそれに負けじと同様の事を実現。 さらに以降、それに付随するようにいくつかの先進国が有人宇宙飛行を達成する事になります。
この例を見ても、たとえどこかの国、もしくはどこかの国の人が先陣を切ってスゴイ技術、最新の技術、独創的なアイデアを捻り出した所で、結局は、それは少し早い登場だったというだけで、いずれは他の国の人によって同様の事が実現される、と。
つまりは、上に上げた先人達が彼らの発明や発見をしなくとも、時間が経てばいずれは何処かの誰かの手によって登場するはずであり、さらに技術の進歩速度が著しく速い現代においては、もはや数年から数10年後にはあっさりと実現されている、いやむしろ携帯電話でみられるように、画期的と思われていた発明や技術が、もはや当たり前となっているのかもしれないですね。

そりゃあもちろん、こういう疑問は、英語で言う『If』、それも非現実な状況を前提にしたもの。
あくまで仮定。
はっきりとした確信などはなく、また、そのような『If』な事柄を実際に確認する事など絶対に出来やしないものなので、実際にどうなるのかは知りようがありません。
しかし、私の考えとしては、発明(発見)されないかもしれないという可能性よりも、発明(発見)されるかもしれないという可能性の方が、遥かに高いとしか思えてならないです。
実際、似たような例が歴史上多く起きているという事実を鑑みるに。


にしても、けっこう長々と書き連ねてしまいましたが、もしかしたらこんなにマジメに書いているのは私だけで、そもそも私が一生懸命書いたこのテーマ、そして予想こそ、既に上で挙げた例のように、大多数の人によって当たり前のように考え尽くされ、結論付けられている話かもしれないですね。
うーむ、それだと、私の書いたことは間違ってなかったという事を証明する一例ともなるわけですが、しかし裏を返せば、私はそんな既に論じ尽くされたくだらないテーマに無駄な時間を長々と費やしたという事も意味するわけで、なんか複雑な気分になりますな……。