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 ホラー映画でよくあるパターン

 

2004年10月11日


マンガにしろドラマにしろ映画にしろ、創作された物語には、一種のおきまりな展開みたいなものが確立されています。
言い換えるなら、このタイプの物語では多くがこのような展開、このような演出になるという、いわゆる『よくあるパターン』というやつですか。
ざっと例を挙げると、アクション映画なら『敵の撃つマシンガンの弾は主人公に全然当たらないけど主人公の射撃は百発百中』、サスペンスドラマなら『探偵や刑事に反抗を暴かれた犯人が最後はみなの前で犯行や目的を自供して締めくくる』、ラブコメマンガなら『途中で主人公を慕う潤ヒロインが登場してヒロインとの三角関係になる』、スポーツモノなら『主人公チームはゲーム終了直前にギリギリで逆転して勝利』、などなど。
物語の『起承転結』という定石も、一概に言えばこのパターンに当てはまるかもしれませんね。

そこで今回は、ホラー映画における『よくあるパターン』を考察してみようかと思います。
誰しも知っているようなメジャーっぽいネタから、低予算C級映画で見られるようなマイナーなネタまで色々羅列してみようと思います。



 ・カップルは怪物にいの一番に殺される
もうこれは誰でも知っている、ホラー映画では定石中の定石パターンですね。
ホラー映画では、カップルというだけで、高確率で怪物に殺されてしまうというのはお約束。
さらに物語の冒頭から人目も気にせずやたらいちゃついているカップル、いわゆるバカップルなる連中ならば、倍率ドン、さらに倍!といえるほど死亡率が跳ね上がります。
そんなカップル連中は、怪物の恐ろしさを演出するためか、特に物語の冒頭から前半にて、処理されるようにさっさと殺されてしまうケースが多いようですね。
主に、いちゃついている最中や、面白がって無警戒にあたりをうろちょろしたり、立ち入り禁止のところに面白がって入ったりしてるときに殺されるのがパターンです。
また、殺されるのは男、そして女という順番が多く、男の方が怪物にあっさり殺され、びっくりして一目散に逃げた女の方も転んだりしてるうちに結局怪物に追いつかれて殺される、というパターンも多いです。
まれに女の方だけ生き残って主人公と合流する事もあったりします。


 ・怪物を信じない人は殺される
カップルに次いで高確率で死ぬと思われるタイプなのが、怪物の存在を信じない人。
主人公、もしくは最初に怪物を見た人が必死で怪物の存在を訴えるも、いっこうに耳を貸さずに『バカバカしい』『SF小説の読みすぎだ』などというばかり。
そんなだからバカップル連中と同様、無警戒にあたりをうろちょろする事も少なくなく、あっさりうぎゃあ!となります。
ちなみに怪物の存在を信じない割に、運良く生き残るケースもありますが、そういう場合はたいてい最後らへんで怪物の存在を思い知らされると同時に死にます。


 ・傲慢な態度の人物は死ぬ
これまたホラー映画では定番に近いかも。
つまり、えらそうに威張り散らしているような、傲慢でイヤなやつは死ぬと。
イヤなヤツ度が高ければ高いほど、それこそ視聴者が殺意を抱いてしまいそうなほどイヤなヤツであるほど、死ぬ確率は高いようです。
ホラー映画では人死にはほぼデフォルトで付属している要素ですが、いくら人死にがあるとはいっても、優しい人や人柄のいい人が殺されまくるのはどうも忍びなくあまり後味が良くないから、いいやつよりもイヤなヤツの方が全般的には死ぬ確率が高いようです。
まあそりゃ、いい人が理不尽に殺されるよりも、イヤなヤツが殺されてくれるほうが、後味的にはいいでしょうし。
ちなみに、稀に映画によっては怪物の追撃を免れてしぶとく生き残ったりしたりもしますが、しかし大抵は終盤であっさる殺されたりなど、ろくでもない最後を迎えます。


 ・怪物のフリをして他の人を脅かすヤツは死ぬ
これも定番。
ホラー映画において、怪物などのフリをして他人を辛かったり脅かしたりして喜んでるやつは、ほぼ確定と言ってもいいくらい、本物の怪物の手にかかって死ぬハメになります。
また、他にも怪物の話をしたり怖い話をしたり、ウソを言ったりして必要以上に他の人を怖がらせようとするやつも死ぬ率が高いです。
こういう連中もイヤなやつの一種なので、傲慢な人物同様殺される役どころなんでしょうな。


 ・好奇心旺盛、冒険心旺盛なやつは死ぬ
ホラー映画において、やたら物事に首を突っ込みたがったり、勇気のあるキャラは死に易い傾向があるようです。
とにかく何かをやたら調べたがったり、危険そうな場所を平気でのし歩こうとする人物はかなりやられる可能性が高い。
さらに作中で、周囲の心配をよそに『大丈夫だって』『平気だよ』とやたら何事にも動じない、というか危険意識の低い人物になると死亡率は相当高くなる。


 ・『様子を見てくる』といって一人で様子見しに行くやつは死ぬ
というか様子を見るときにわざわざ単独で行こうとするやつは死ぬ、といったほうが正しいですか。
上の『好奇心旺盛、冒険心旺盛』に若干類似してますが、ホラー映画では、怪奇現象が起こったり、原因不明の殺人が起きたりしているさなかに、とにかく一人でグループから離れて偵察などに行こうとする人物はたいがい死亡します。
様子見に行く前に周りの人が心配すると『大丈夫、様子を見てくるだけだから』という類のセリフを言い放ったなら、さらに死亡率アップ。 スーパーリーチです。
二人で行けよ!というか周りの人も心配なら一人で行かせるなよ!
しかも様子見するだけなのにわざわざ一人で深入りして余計な事するヤツなんかもいるし。
そんなやつはもう確実に死亡すると言っても過言ではありません。


 ・子供は殺されない
ホラー映画では、なぜか子供が死ぬケースはとても少ないです。
子供は、上で紹介したバカップルや怪物を信じない人並かもしくはそれ以上にあたりを無防備にうろちょろするケースが多いのに、なぜか死ぬ確率はやたらに低いという。
むしろその子供を捜そうとしたり、助けようとしている大人の方が却って死にまくるという。
ホラー映画に出てくる怪物って、子供が苦手なヤツが多いんでしょうかねえ。
ちなみに、子供でも稀に死ぬケースはあったりしますが、しかし割合的にはごく僅か。
そしてその場合も殺される直接的な描写が画面に出ることはなく、気がついたら殺されていた、いつの間にか死んでいた、というパターンが多いです。 もちろん食われるシーンなんてもってのほか。 実際、私も今までいろいろホラー映画は観てきましたが、子供が惨殺されているという(直接的な)描写は見た事ないです。
多分、子供を殺すシーンを放映するというのは倫理的に色々問題あるからなんでしょうねえ。
でもあまりにも子供が死ぬケースが少ないため、あからさま過ぎ、という感じがしないでもないですな。
あ、そういえば『ゾンビ』『ゾンビ3』では子供ゾンビを撃ち殺す、叩き殺すシーンがあったっけ。 でもあれって人間でなくてすでにゾンビになった人間だからなあ。


 ・子供のゾンビはほとんどいない
意外に気付かない事なんですが、ゾンビ映画では子供のゾンビってほとんど見かけません。
大人のゾンビばっかり。
『ゾンビ』や『バタリアン2』『ゾンビ3』のように、極稀に子供ゾンビが出てくる事もありますが、しかし所詮はごく一部。
人口の割合的に考えると、子供のゾンビはもっと沢山出てもいいはずなのに、めったに出てこないんですよねえ。
まあ、そこら辺はアクション映画で子供が撃ち殺されるシーンが無いのと同様に、製作側の事情や倫理的な問題などいろいろあるからなんでしょうけど。
てか、子供ゾンビの大群なんか出しても内容的にも盛り上がらなさそうですな。


 ・警察は役に立たない
ホラー映画では小さな町が舞台になる事が多いため、警察というよりも数人の保安官、といった方がいいかもしれませんね。
そんな彼らですが、警察という特性上、銃を常備してて、また無線などで応援を頼む事も出来るという強みがあるからなのか、とかくホラー映画では役に立たない存在として描かれる事が多いみたいです。
代表的なのは、怪物の存在を信じない保安官ですか。
主人公が必死こいて大変だ、大変だとうったえているのに、保安官は主人公の言葉にはいっこうに耳を貸さず、単なるたわ言として聞き流すだけという。
ひどい時には、非現実的な話ばかりする主人公に嫌気がさして『いいかげんな事いうな!』『これ以上くだらない事抜かしてたら逮捕するぞ!』と脅したりする事も。
んで、そんな警察の人が怪物などの存在をようやく信じてくれる段階になるのは、大抵物語の後半から終盤あたりになってから、と。
もちろん信じてくれたからと言って頼りになる存在になってくれることはなく、おおよそはもう手遅れなほど事件が肥大化してたり、銃を撃っても効かなかったり、あっさりと怪物に殺されちゃったりして、結局は何の役にも立たない、というのが主なパターンだったりしますね。
ちなみに他のパターンとしては、主人公が危険を訴えるために警察署に電話しても、電話口で『ただいま混雑してるため電話に出られません』と言われて危険を告げる事すら出来ないと言うのもありますね。


 ・噛まれると感染して化け物になる
ゾンビ映画、あと吸血鬼映画でよくあるネタですね。
原因がウィルスだと判明しているものが主ですが、中には原因不明ながらこのようなパターンになるものも少なくありません。
ただ、このようなやられたやつは怪物になるという感染系のホラー映画では、なぜか空気感染などは無いから不思議です。
まあ、近くにいるだけでやられる空気感染などだと、イマイチ怖さというか感染したという感じがしないから採用しないのもわかるんですが。
ちなみに、中には最初は空気感染してたのに広範になるとその空気幹線は無かった事になって、噛まれないと感染しなくなるというホラー映画もあったりします。
うーん、イイカゲンですな。


 ・篭城戦をする
これはゾンビ映画でよくあるパターンですね。
ゾンビが現れた!>逃げろ!>必死こいて逃げている最中にふと建物を発見!>あの建物に逃げ込め!>カギかけろ>んで、篭城戦が展開。
『篭城パターン』という図式が出来上がっているといってもいいくらい、ゾンビ映画ではこの手の展開が多いです。
でも篭城戦が最後まで成功する事はまずなく、ほぼ必ず途中でハプニングがあったり、入口や窓を破られたり壊されたりしてもうだめだ、その建物は放棄するしかない、という展開になります。
ちなみに篭城戦のオプションとして、逃げ込んだ人の中にはケガした人(大抵女性)が含まれるというパターンももれなくついています。


 ・ほえる犬は殺される
これまた定番。
おおよそのパターンとしては、殺人鬼やら怪物やらが民家の近くに出現>その民家のペットがワンワン騒がしくほえる>家の人がうるさいと犬を叱るが犬はなおほえ続ける>ギャン!と犬は怪物に殺される>突然静かになったのを不思議に思う住民>その住民も怪物に殺される、という感じですか。
怪物の恐ろしさを演出する展開として、まだ怪物の存在が明らかになっていない物語の序盤でよく見られるシーンです。
ちなみにバリエーションとしては、怪物が家に侵入する前に、ほえる犬の様子を見るために外に出てきた住民が犬に続いて殺されるという展開もありがちです。


 ・鼻歌歌いながらシャワー中の女性は死ぬ
鼻歌を歌いながら入浴してたり、シャワーを浴びていたりする女性は、ゆっくりと後ろから接近してくる怪物や殺人鬼の存在に気付かない。
そしてそのままブスリとやられる。
直前で気付いて、命からがら着のみ着のまま逃げれたとしても、結局は追いつかれて死亡、という。
特にそれが寂れた一軒家やキャンプ場では、死ぬのはまず鉄板に近いです。


 ・サービスカットが挿入される
これは別にホラー映画に限ったことではないんですが、とにかくサービス的なカット、いわゆる女性の裸や半裸シーンが挿入されたりします。
代表的なのは言わずもがな、上であげたシャワーシーンですか。
そしてホラー映画なので、そのシャワーシーンの直後にその人物は殺される。
サービスカットとして挿入されるシャワーシーンに、物語のメイン(つまり殺人)と絡めるという手法は、ある意味理想といえるかもしれません。
といっても、これは大御所的なホラー映画ではなく、どちらかといえばC級的なホラー映画になるほどこの傾向は強くなるようです。
まあ、殺されるシーンの場合は物語に関連する内容なのでまだわかるんですが、モノによってはホントーに意味もなくシャワーシーンなどが挿入されたりも。
サスペンスドラマなんかでもありますよね。
風呂のシーンを入れたり、舞台が温泉地になってたり。
しかも大抵女性。 男が風呂入ってたりするシーンはほとんどありません。
まあ、この手のモノは、客の食い付きをよくするためにやたらにサービスカットを挿入したりするというのは定番といえば定番なんですが、あまりに定番すぎてもはやお決まりのパターンになってますな。


 ・自分だけ助かろうとする姑息なやつは死ぬ
傲慢な態度の人物が死ぬのと同じく、ホラー映画では姑息な手を使ったり、人を犠牲にしても自分だけ助かろうとする人物はほぼ確実に殺されます。
これが他の映画とかなら心を入れ替えたり反省したりするか、もしくはぶちのめされたりする程度で済むこともあったりしますが、ホラー映画では手っ取り早く殺されてしまう事が多いようです。
死んでもしょうがないようなキャラを殺しても心が痛まないということからなのか、時にはどーでもいい様なつまらないことで悲惨な死に方をするケースも。
大体は中盤あたりで死ぬのがよくあるパターンですが、場合によっては終盤あたりまでしぶとく生き残るも最後には死ぬ、というケースもあります。


 ・殺人鬼は不思議ワープする
13日の金曜日など、人間をひたすら殺して回る殺人鬼などは、ホラー映画では異様に機動力が高いです。
しかも見ている場面ではなく、見えない場面での機動力が。
どういうことかというと、登場人物を追いかけているときは普通に歩いたり小走り程度で大して速くなく、登場人物も結構な距離を引き離す事が出来るんですが、これが場面転換したりカメラが人間側に集中して殺人鬼にスポットが当たらなくなったら、突然機動力が異様に上がり、ワープしてるんじゃないかと思えるほど高速で場所移動してたりします。
逃げてる人はダダーっと全力疾走で逃げる。
殺人鬼はそれを妙に早い歩きで追いかける。
しかしやっぱり走るほうが速いので何とか見えなくなるまで逃げ切れる。
逃げてた人はちょっと止まって一息つく。
と思ったら殺人鬼がいつの間にか追いついてたり、時には前に回りこんでたりすることも。
一体どういう方法なのかは不明ですが、とにかく殺人鬼は歩いている状態でも足が速く、さらに見えないところではワープしてるかのように一瞬で移動しているようです。


 ・行動を、異様なまでにゆっくり行う
ホラー映画ではなくてはならない行動、それは『やたらゆっくり行動する』ということでしょう。
正しく言うなら、怪しいところを見回したり、暗いところを移動したりするときに、ものすごくじわじわ行動するということです。
例えばドアを開けたりするとき、物音がしたのでその方向を向くとき、怪しい気配を感じて背後を振り向くとき、怪しいところを調べる時、物音がした場所を調べるとき、カーテンを開こうと近づくとき(でも開く動作だけはやたら早い)、などの場合、なぜか登場人物たちは必ず低速な動きになります。
別に隠れたりする必要の無い確認動作のはずなのに、別に物音を立ててはならないわけではないのに、なぜか誰もがゆっくりゆっくりと静かに歩み寄り、周りを見渡すのもやたらゆっくりゆっくり。
後ろを振り向くときなどはさらにそれが顕著なほど、ゆっくり。
そしてドアを開けるのも遅すぎるくらい遅い動作で行う。
見回して確認をしたい、調べモノをしたいのなら、きびきびズカズカと歩き、パパッと行動すればいいのに。
人間というのは普通、不安でいっぱいな心情の場合、不安感を拭い去るためにわざと力強く行動したりするものなのに、ホラー映画の登場人物はなぜかそういった行動をせず、登場人物たちはみな余計に不安な気持ちになりそうなまでにゆっくりと、緊張感がさらに増しそうな感じでじっくり行動します。
まあ、そうする事でじわじわした怖さを演出しているわけなんですが、実際にはこんな遅々と行動しませんよねえ。
んで、そんな最中に突然襲ってくる怪物、もしくはゆっくり行動しているために気付くのが遅れて、そしてうぎゃあ!と。
まさにパターンですな。
ちなみに、中には時間稼ぎ的な意味合いもかねているようで、このようなゆっくりとした行動を省略すると尺が3分の1か半分くらいに短くなるホラー映画も少なくないです。


 ・ゆっくりと行う確認作業中は何も出ないが、その直後に何かが出る
ホラー映画の登場人物たちはとにかく行動をゆっくり行うものだと上で書きましたが、それに付随してくるのが、このようなゆっくり動作を行っているときには何もおきないということです。
例えばドアの向こうに何かがいそうな気配がする、クローゼットの中に何かがいそうな気配がする、バスルームのカーテンの向こうに何かがありそうな気配がする、といった場合、ゆっくりじっくりと近づき、そしておもむろにばっと開ける。
大抵その場合は何も出てこず、バスルームなら何も無い、ドアの向こうには誰もいない、クローゼットの中には誰もいないなど、取り越し苦労となるケースがほとんど。
しかし、この直後の事になると話は別で、登場人物が緊張度MAXな確認作業をしているときには何も出てこないけど、それを終えてほっと一息ついた瞬間に怪物やら何やらが出てくるというケースがものすごく多いです。
例えばごくりと唾を飲みつつバスルームのカーテンを開ける。 しかし何も出てこなかった。 ほっとして戻ろうと後ろを振り向いた瞬間に怪物がいた、とか。
緊張している際に脅かすよりも緊張していないときの方が驚きは大きいため、取り越し苦労ということで一安心させといて、緊張が解けた瞬間にワッとさせるのは、人を脅かす際には効果てきめんなのは確かですが、よく使われるためにもうパターン化してるといってもいいかもしれませんな。


 ・誰かいないかと声をかける時は、なぜか一言二言だけ
これも上の異様にゆっくり行動パターンの一種。
人気の無い場所にて怪しい物音や気配がした場合、それを確認したりするために声をかけるときには、なぜかみんな一言二言声を発したらだんまりを決め込んでしまいます。
そして上で書いた『ゆっくり行動パターン』に突入と。
怖い感じがするのなら、もしくはそこに誰かいないかと確認をしたいのなら、もっと騒がしく声を立てるべきなんじゃないかと思うんですが。
まあ、怖いからというのもあるでしょうが、しかし実際のところ、怖いときや寂しい時って、気分を奮い立たせるためにわざと大声を出したりするモンなんですけどねえ。
怪談話をしてて怖くなった人がわざと明るく振舞う空騒ぎをするし、一人で部屋にいるときにはさびしさを紛らわせるために独り言を発するものですし。
でも、ホラー映画での怖がったり緊張してたりする人物は、どういうわけか気を奮い立たせるための空騒ぎをせず、むしろ余計怖くなるくらい沈黙を守ったり静かにしたりしようとしますよねえ。
不思議だ。


 ・倒した怪物に不用意に近づいて、いきなり掴まれる
怪物と悪戦苦闘の末、何とか倒した!と思えるシーン、それもあからさまに絶対に死んでないと思えるシーン。
映画の場面的にいうなら、戦いのときに激しい音楽がなり、怪物が倒れると同時に音楽が止まる、という場面ですか。
その場合、かなりの割合で、登場人物は前述のゆっくり行動パターンで恐る恐る怪物に近づいて、そしていきなり復活した怪物に足などをつかまれたまた大ピンチに陥ります。
脇役の場合は、ここでさっさと殺されると言うオマケ付き。
一気に完膚なきまでにトドメを刺さずに、中途半端に叩きのめしたところで倒したつもりになる、ホラー映画の登場人物に共通する悪いクセです。
ひどいのになると、怪物はしぶといというというのをいやというほど思い知らされているはずなのに、ちょっと倒れただけでしんだかどうかも分からないのにすぐにこのような軽率な行動を取るという。
倒しても一気にトドメを刺さずにすぐ倒したつもりになる。
ばたりと倒れた怪物、そしてその場でしばらく静止する主人公達。
おもむろにゆっくりと怪物に接近、怪物いきなり起き上がって『グワーァァ!!!』
最初から完膚なきまで叩きのめしたり、トドメを刺しとけばいいのに。
もしくは遠くから棒とかでつつくとか。
まあ死を確認するために近づいたというのが理由なんでしょうが、確認が必要なほど死んだのか不明瞭ならなら無防備に近づくなと。
アクション映画とかでもこの手法はよく使われるようで、主人公が死んだフリをして敵が近づいてくるのを待ち、間合いに入ったら飛び起きて襲い掛かる、というパターンをしばしば見かけます。


 ・倒れた怪物を放置して逃げたら怪物はすぐに蘇る
これは、倒れた怪物に近づかないで、そのまま逃げたときによくあるパターンです。
悪戦苦闘の末、倒した、やった、早く逃げよう!という三段活用で逃げた主人公。
しかしすぐに復活し、またたくまに主人公を追い始める怪物。
これまた、倒れてるうちに出来る限りトドメ刺しとけよ!と思えてしまいますな。
もっとも、恐ろしいから一刻も早くこんな怪物から遠ざかりたいという気もわからなくもないんですが。


 ・武器を持っていかない
ホラー映画では、怪物に対抗しようと登場人物が武器を使って戦うというシーンがよくありますが、しかし登場人物達はなぜかその武器を持っていこうとしないという特徴があります。
一応、銃などの場合は持っていくようですが、しかし棒とか剣とか鉄パイプとか斧とかの武器はなぜか持っていかないことが多い。
例えばゾンビ映画の場合、ゾンビが来た!>近くに棒切れがあった!>それでゾンビを撃退!>よし、他のゾンビがこないうちに逃げるぞ!
殺人鬼映画の場合、殺人鬼に襲われた!>近くに鉄パイプがあった>それで殺人鬼を倒す!>死んだかどうかはわからないけど、とにかく怖いから逃げろ!
という展開になった時、なぜかそのときに使った武器をその場に捨てていくという。
もしかしたら、倒したと思ってその武器はもう必要ないと判断したのかもしれません。
倒したのならもう重たい武器を持つ必要はありませんし。
しかしながら、中には武器を使ってその場を切り抜けてもまだ全然安全じゃないと判っているはずなのに、わざわざ武器を捨てて逃げるという行動をとってしまうホラー映画のなんと多いことか。
当然、その直後に蘇った怪物(もしくは別のゾンビ群)に襲われてギャース!な展開へと一直線。 武器を持っていかなかったせいで余計ピンチに。
この手のシーンを見て、『武器持っていけよ!』と何度思った事やら。
ちなみにバリエーションとして、弾が切れた銃を捨てるというパターンもあります。
ライフルなどの重たい武器でもない限り、新しく弾が手に入ったときのために持っていったほうがいいと思うんですけどねえ。 拳銃程度なら大して重く無いだろうし、いざというときにはグリップ部を打撃武器としても使えそうなんですが。
なんにせよ、ホラー映画の登場人物たちは危ない場面に遭遇しまくる割に、武器をやたら捨てたがるようです。


 ・銃はすぐ弾切れになる
ホラー映画では、銃はとても心強い武器となります。
まあ、まともに撃っても効かない場合も多いのですが、それでもひるませたりする事が出来るので、棒切れなどよりも心強い事に変わりはないです。
しかしながら、強い武器という位置づけからか、ホラー映画ではとにかく弾切れで使えなくなる事がとても多い。
アクション映画でも銃器の弾切れがおきることはままありますが、ホラー映画ではその弾切れ率の頻度がやたら高いです。
ちょっと撃っただけですぐ弾切れ、ひどいときなどは、予備の弾を持っていかない、所持弾薬数が少ないのに無駄に撃ちまくる、など。
んで、肝心な場面で弾切れになると。
ちなみに、それとは逆に、アクション映画などと同じく、たまに予備の弾を持っていった様子は無いのにやたら装弾数が多かったりする事もあったりします。
装弾数6発のリボルバーなのに明らかにリロードナシで20発くらい撃ってたり。
んで、こちらも同じく、肝心な場面で弾切れで役立たずになる、と。
そして上でも書いたように、そのあとはその銃器を捨てていくというのもお約束ですね。


 ・田舎町が舞台でスケールが小さい
ホラー映画は、アクション映画などと違ってかなり低予算のモノが多いせいか、ものすごく小さなスケールで展開される物語になる事が多いです。
つまり大都会で事件が起きることはなく、大抵の舞台は人気の少ない田舎町、古い建物になる、と。
これはC級や低予算映画になればなるほどその傾向が顕著で、田舎町が舞台、過疎の村が舞台、数件の屋敷が舞台、寂れたボロイ一軒家、人のめったに来ないキャンプ場が舞台など、とにかく規模の小さい、そして人気の少ない場所で物語が展開されます。
確かに、人気の少ない田舎などにした方が寂れた怖い雰囲気が出るといえば出ますし、また『古い』という課題もクリアーできるために、ある意味理想的といえるかもしれないんですが、しかし逆に言えば、どれだけ騒ぎが大きくなったところで所詮は田舎町、古い屋敷で起きたひと騒動程度になるわけで、どれほど恐ろしい怪物であっても全国レベルや全世界レベルの怖い騒ぎになる事はほとんどない、ともいえます。
寂れた場所でないと怖さが出ないし、予算もあまり無いからでしょう。
大都市でそれなりに納得のいく撮影をするには莫大な予算がかかるし、低予算なC級ホラー映画でそんなことできるはずもありません。
かの有名な『13日の金曜日Part8 ジェイソンNYへ』でも、ジェイソンがニューヨークに行ったのは物語の終盤で、物語の大半はNYに向かう船の中で展開されてます。 また、NYに到着していよいよジェイソンもニューヨーカーを大量虐殺するのかと思いきや、ジェイソンは主要キャラを追いかけることしかせず、さらにNYといってもほとんど地下道でしかハナシが展開されなかったものですし。
ある意味、特撮映画の、局地的にしか活動しない悪の組織などにどことなく似てますな。
『ゾンビ』シリーズといったメジャータイトルの場合はかなりスケールの大きな物語になるともいえますが、しかし大半の低予算ホラー映画ではそうもいかず、とにかく小さいスケールで展開されます。
恐ろしいエイリアンや侵略者と戦うというストーリーの場合も、実際にはたった一体のエイリアンとどこぞの田舎町の誰もいない場所で戦うだけという。
まあ実際、現実世界の怪談なんかも、局地的に広まるマイノリティー的なハナシの場合が多いので、ある意味現実と同じ展開の仕方かもしれませんね。
しかしながら、どんな恐ろしい怪物騒ぎでも、所詮は田舎町レベルというのは、やっぱりどうにもスケールが小さいといわざるをえませんな。
だから、ホラー映画の多くはいきなりびっくりさせる怖さ、個人レベルでの怖さ、閉鎖空間、隔離空間での怖さが主で、世界規模な、人類全てを巻き込んだ怖さ(いわゆる世界各地で怪物が出現するなど)が出ることはめったにありません。
また、大都市のビル街を闊歩する大量の怪物ってのも、どうもしっくりきません。
てか、そもそも一部を大作ホラーを除いて、大半のホラー映画そんなことを演出できるほど予算もなさそうですし。
そういう怖さはむしろ災害映画で見られるかも。


 ・古い建物が舞台
これも低予算なホラー映画ならでは。
田舎町が舞台になることも多いですが、しかし田舎町といってもそれなりに人口はあるので、やはりある程度騒がしくなります。
そこで寂しさや怖さを演出するため、後低予算のため、それよりもさらに人気の少ない山や森の中にある古い屋敷、廃屋を舞台にしているホラー映画はものすごく多いです。
んで、そこに訪れる主人公一行の目的は、バカンスなのもパターン。
田舎町での小さな騒動など違って、こちらは閉鎖空間という強みがあるため、すさまじい現象が起きても周りに一切知られることなく、また主人公が悪戦苦闘の末に怪物と死闘を繰り広げるというのも地方の怪談話みたいで雰囲気出るので、確かにホラー映画にはうってつけの舞台かもしれませんな。
ところで考えてみれば、ホラー映画はマイナーな存在といえますが、加えてホラー映画内で起きている出来事も、実際にはマイナーな事件というわけになっていますね。
うまいことマッチしてるもんですな。


 ・怪物は人気が少ない時、そして夜に活動する
ホラー映画は人気の少ない場所で事件が起きますが、その中でもさらに、怪物や幽霊達は人気が少ないときを狙って行動するようになってます。
人を襲うときは、夜に、ターゲットが一人か二人になったときを狙うという。
例えば夜中に一人で様子見に外に出て行ったり、グループからはぐれた人がいの一番に殺される、と。
明るい昼間や、人々がグループでいるときはまず襲ってこないところをみると、怪物はやっぱこういうのを狙ってやってるんでしょうねえ、やっぱ。
怪物の割に特殊部隊や暗殺者みたいな事をするという、わりとぬかりない策士といえますな。
もしかしたら、明るい場所や、大勢の人前には出られないほどシャイな性格なのか。


 ・とにかくあらゆるものが古い
古いものには霊が取り付くといわれているように、古めかしいものには何かしら不思議な力が宿ったりするという感じがするもので、古い建物などを舞台にするのは、ある意味、ホラー映画の理にかなっているのかもしれません。
実際、綺麗で新しいオフィスやビル街で起きる心霊現象よりも、汚く古めかしい洋館や田舎町での心霊現象のほうが雰囲気出ますし。
てか、そもそも幽霊が出そうな建物のイメージというと今にも崩れそうなボロイ建物といわれていますしね。
そんなわけもあってか、田舎町が舞台になったり、古い建物が舞台になったり、古い物品が出てきたりなど、ホラー映画ではとにかく古いモノを扱う事がほとんどです。


 ・電話はベル式の古い電話
ホラー映画古いものを使うので代表といえるのが、電話。
古い電話はえてしてベル式(いわゆるダイアル式)になるものですから、ホラー映画でベル式の電話が出てくるのはもはや定説といってもいいでしょう。 電子音式の電話なんてめったに出てこない。
んでその電話のベルなんですが、ホラー映画で出てくる電話は、ベル音とその合間が異常に長いのが特徴です。
普通なら『ジリリリリリン、ジリリリリリン、ジリリ……』となるのに、ホラー映画でのベル音は『ジリリリリリリリリリリリリリリリリン………………ジリリリリリリリリリリリリリリリリン…………』と、一回のベル音と合間の沈黙が異様に長いです。
まあ確かにこれは怖さを演出しているといえますね。
実際、電子ベル音や短いスパンのせわしないベル音が鳴るよりも、ゆっくりした音が鳴り、長い静寂が混ざる方がなんか怖いですし。


 ・電話線が切られている
ホラー映画の怪物はものすごく手回しがいいです。
中でも抜群なのが、寂れた一軒屋を舞台にしたときの電話線の切断。
もうホラー映画といえば電話線の切断といえるくらい定番な演出で、大概の一軒家を舞台にしたホラー映画では電話線切断のシーンがあります。
怪物が電話線の存在を知ってる知らないにかかわらず、とにかく主人公達が電話をかけて警察などの助けを呼ぼうとすると、すでに線が切られてて助けが呼べない、あとは自分達でがんばるか怪物を振り切って逃げ切るしかない、という展開になります。
絶妙のタイミングで電話線が切られる。
これこそが、ホラー映画の王道。
怪物たちの間では『電話線は切らなければならない』という不文律でもあるんでしょうかねえ。
いわゆる特撮番組で、ヒーローが変身している間は攻撃してはいけない、みたいな。
ちなみに、稀に線が切られる前に電話がつながるときもありますが、その場合の警察側は前述したような『ただいま忙しくて出られません』という対応になって、結局つながらなかったのと同じ事になります。
んで、何度も電話かけなおしているうちに、やっぱり電話線が切られる、と。

でも、携帯電話が発達した今の時代では、この演出はもう通用しそうにないですな。
電話線切られようが、携帯だと一切関係なし。
もっとも、携帯電話の場合、『圏外』になるという方法を使って、連絡不能というのを演出できるが使えるかもしれません。
しかしながら、これってあんまり怖くないですな。
私は半年ほど前にそういうホラー映画(生物兵器として作られたハエが、死体をのっとって人を襲う話。ハエのCGがチープなC級ホラー)を一つ見た事があります。
その映画ではお約束どおり電話線が切られているものの、携帯電話を持っている人がいたのでそれで助けを呼ぼうとするが、あいにく舞台はへんぴなところにある別荘だったために、携帯は『圏外』になってて機能しない。
そこで、主人公達は屋根に上ったりして少しでも電波状態を良くしようと奮闘するという。
しかしながら、携帯の電波を良くするために屋根に上ったり、そこから身を乗り出したりしながら電話をかけようとしていたり、頻繁に電話が切れてリダイヤルしまくる様には、とてもホラー映画的な怖さは感じられず、むしろ滑稽な感じでした。 元々の映画がC級モノだったというのもあるんですが。
結局いえることは、ホラー映画には最新技術を駆使したアイテムは似合わないという事ですな。


 ・車のエンジンがなかなかかからない
もうお約束と言えるくらいのお約束。
ホラー映画を数本も観ればわかってしまうほどのお決まりのパターンですね。
怪物などから逃げようと車に乗ったはいいが、決まってエンジンがなかなかかからない。
まるで氷点下の気温の中でエンジンをかけようとでもしているのかと思えるくらい、エンジンの点きが悪い。
もう半狂乱状態で焦る逃亡者、ずんずん迫る怪物。
そしていよいよもうだめだ、というぎりぎりの段階になって、ようやくエンジンがかかる。
これが主なパターンですね。
そして映画によっては、エンジンがかかって走り出し一度は逃亡に成功するものの、途中のアクシデントで車が静止するようになると、ここからまたエンジンがまるでかからなる、というパターンもしばしば。
どんな質の悪いエンジン使ってるんだか。
もしくはガス欠寸前なのか。


  ・車はガス欠になる、あるいは大破する
エンジンがようやく点いたとしても、まだ安心は出来ません。
ホラー映画の車は、エンジンを点けるだけでもやたらに苦労するのに、それに加えて途中で途中でガス欠になったり大破したりする可能性が極めて高いのが特徴だったりします。
今まで散々走り回ってきたのですぐにガス欠になるのや、走っている途中にちょっとした拍子から木などにぶつかって車が大破、またはガソリンがもれててそれに引火して爆発、などなど。
原始的な武器で殺人が行われるホラー映画においては、文明の利器でありパワーが強く、また逃亡手段として大いに活躍してくれる車は銃と同じくらい頼もしい存在なためか、とかく何かしらのアクシデントで使えなくなってただのクズ鉄と化してしまうものです。


 ・光が恐ろしく乏しい
怖いといえば暗い、暗いといえば怖いと言うように、恐怖を味わうには暗闇という要素は欠かせません。
当然、恐怖をウリにしているホラー映画にもそれは当てはまり、ホラー映画では暗闇のシーンが大量に盛り込まれています。
んで、その結果、ホラー映画に出てくる光はとにかく乏しい事この上ない。
田舎町が舞台になっているというのや、古い建物を舞台にしているというのも一因となっているんでしょうが、しかしそれを考慮したとしても、ホラー映画に出てくる光はものすごく弱々しいです。
例えば部屋のライトや懐中電灯。
ホラー映画で登場するライトはやたらに弱い光しか出してくれません。
懐中電灯になるとさらにそれは顕著で、普通、懐中電灯を点けると、照らした一点が強く照らされるのと同時に間接照明でその周囲も若干光が降り注ぐため、光の周辺も少し見えるようになっているものですが、ホラー映画ではなぜかそういうことはなく、照らした一点がかろうじて見えるという程度の微光しか発してくれません。
どー見ても電池切れかけとしか思えない程度の光なので、余計に暗闇が引き立ってます。
ライトや懐中電灯の光の場合、電球や電池が切れかけているといういいわけを使えばまだ納得がいくものですが、太陽光すら乏しいというのはどういうことか。
ホラー映画では、昼間でも建物の中はなぜかものすごく薄暗く、地下でもないのに中にはまったく光がささない場所もあったりします。
まあ、古い建物だから室内照明が乏しく薄暗いという理由をつけれるかもしれませんが。
んでそんな乏しい光の具合でよくあるのが、部分的に光が差し込んで部屋の内部がほとんどい見えなくなっているヤツ。
例えば登場人物の顔が半分しか光に照らされてなかったりとか。
ホラー映画ではこのように、とにかく光が乏しいケースが多いです。
無論、それによって恐怖の演出を強めていると言えるかもしれませんが、中には画面が暗いのをいいことにやたら手抜きをするC級ホラー映画も珍しくなかったりします。


 ・女性の悲鳴がやたら多い
ホラー映画では女性の悲鳴が欠かせません。
まあ確かに女性の方が声が高いので、恐怖を煽る演出としては効果覿面なのかもしれませんな。
その反対に、男性が『うぁぁーッッ!!』という叫び声を上げるシーンはものすごく少ない。
あまりに使われるためか、ホラー映画といえば『キャァァーッッ!!』という叫び声がイメージされてしまうほど、女性の悲鳴はホラー映画では必ず使われる、なくてはならない演出として定着してしまってますね。


 ・ゾンビは頭が弱点なのに登場人物は体ばかり撃つ
ゾンビ映画でよくあるパターンですね。
これについては『ゾンビ映画のお約束シーンについて』のコラムで詳しく説明してます。


 ・ゾンビが近づいてるのに逃げずに震えるだけで餌食になるヤツ
これは女性キャラがよくやるパターンです。
ゾンビが出現し、震えながら『オーマイガ、オーマイガ・・・』と呟くだけでぜんぜん逃げようとせず、そのまま『キャァァァ!』と。
まあ、これは足がすくんだり腰が抜けたりして逃げられないって事なんでしょうね。


 ・ゾンビ化した肉親にあっさり噛みつかれる
これもけっこうパターンですね。
肉親がゾンビ化したのに、それが信じられず『○○・・・』とそいつの名を呟きつつ無防備に近付いたり抱きついたりしてそのままギャース!という展開。
まあ、肉親がゾンビ化したという事実を受け止めたくない、信じたくない、自分達だけは大丈夫、という気持ちは分からないでもないですが…。
それだけその人を信じている、ということなんでしょうか。


 ・最後は爆発オチ
アクション映画でも爆発落ち(敵ボスやボスのアジトが爆発して終わり)というパターンはよくありますが、ホラー映画ではそれ以上に爆発オチで物語が終了、という手法が頻繁に使われます。
ダイナマイトを使用する、ガソリンに引火させる、ガスを充満させる、乗り物を敵に突っ込ませて爆発させる、などなど。
人間の殺人鬼が相手の場合はそうでも無いですが、怪物が相手の場合はかなりの確率で、そして怪物が人間タイプでなく蟲やネズミといった大量の小型生物の場合、まず確実に爆発で片がつきます。
まあ確かに、爆発は怪物を始末したというのを最も明確に表現する手段としては最適なものだし、これ以外で納得のいく解決方法ってのもなかなか無いものなので、ある意味理にかなってるといえるんですが、でもあまりに多用されすぎてワンパターンとも。
ちなみにゲームとかだと、この爆発オチに加えて脱出オチもついてたり。
アクション映画のように、急いでそこから脱出、そしてその直後に大爆発、と。
たまに、『バタリアン2』のように、映画によっては電撃で倒すという電撃オチの場合もありますが、しかしこちらは気分的にあまりはっきりと倒した感じがしないせいか、爆発オチほど必殺の手段として使われることは多くないみたいです。
というよりむしろ電撃や雷は、怪物が蘇る手段として使われることの方が多いかも。
あるいは、一時的に敵をひるませる手段として使用されるか。


 ・主人公クラスはあっさりと殺されない
殺人鬼の類が出てくるホラー映画でよくあるパターン。
ホラー映画では、最後に生き残るキャラ、つまり結果的に主人公クラスになったキャラは、どうにも一気に殺されないという特徴があるようです。
例えば、それまでの登場人物たちは武器などで一撃のもとに殺しまくってきた殺人鬼なのに、終盤にさしかかっていよいよ主人公と対峙したときは、なぜか投げ飛ばしたり押し倒したり壁にたたきつけたりばかりして、なかなか主人公を殺そうとしない、など。
たまに武器を使って一気に殺そうとする事もありますが、しかしなぜか主人公に対してだけは妙に攻撃がどんくさくなっており、なかなか命中しなかったりします。 そして結局は投げ飛ばしたり押し倒したりばかり。
殴ったりするときも、それまでは一撃で人間の胴を貫けるようなパンチ力を持っていたりする怪物なのにもかかわらず、主人公に対しては全然効かない、というかわざと力抜いてるような殴り方をするという。
んで、そんなすったもんだしてるうちに、主人公はとっさの機転を利かせて殺人鬼を倒すことになります。 例えば前述したような爆発オチにつながるような、ガソリンに引火させたりダイナマイトを体に突っ込んで爆発させたりなど。
ホラー映画の主人公は生き死にの戦いということでタフなのかもしれませんが、もしかしたら怪物の方が贔屓してわざと手を抜いてくれているのかもしれませんな。


 ・血糊の量がやたら多い
これはイタリア系のスプラッタ映画でよく見られるんですが、とにかくあちらの映画はゴア描写時の血糊の両がやたら多いです。
ちょっとした傷から血がドクドクととめどもなく流れ出したり、ゴボゴボ溢れるように血を吐いたり。
なかにはどーみても体内の血液量より多い量の血が出る場合もあったりも。
確かに、血糊の両が多ければその分インパクトはあるし、スプラッタ映画は血が出てナンボなのでこれはこれで正しい姿勢だといえますな。


 ・綺麗に終わらず、後味の悪い終わり方
ホラー映画のエンディングといえば後味の悪い終わり方、後味の悪い終わり方といえばホラー映画というくらい、ホラー映画はすっきりしない終わり方をする事がよくあります。
もちろん、ハッピーエンドで終わるホラー映画も多くありますが、それと同じくらい、いやそれ以上かもしれないほど、アンハッピーエンドで物語が終わるホラー映画も多く存在します。
例えば、怪物を倒したはいいがその怪物の残した分身やら子供やらがどこかに残ってて…というエンディング、トドメを刺して完全に死んだはずの怪物や殺人鬼が最後にピクリと再び動き始めて…というエンディング、殺人鬼や怪物は倒したけど実は他にも怪物や殺人鬼はいて…というエンディング、死霊などから命からがら逃げてやっとこさ町まで辿り着いたが町や人々はすでに…というエンディング、などなど。
ホラー映画というのは怖がらせるのが目的なので、こういう展開を盛り込むことで、最後の最後まで怖い思いをしてもらおうという事なんでしょうねえ。
あと、後続編が作りやすい展開ってのは利点かもしれませんな。


 ・中途半端なところで物語が終了
アンハッピーエンドなホラー映画の一種で、こちらはゾンビ映画で非常に多いパターン。
上で書いた『後味の悪い終わり方』の場合は、後味が悪いにしても怪物を倒して一段落ついたところでひとまず終わるため、物語的にはひとまず完結しているとはっきりわかるようにはなっています。
が、ゾンビ映画ではそういう物語の終了的な区切りがかなりあいまいな場合が多く、物語の途中で切れているような、中途半端なところで終わる事が多いです。
物事が全て解決して万々歳で終わるのではなく、さあこれから一体どうなるのか、というところでいきなり終了、と。
物語的に言えば、普通のホラー映画が物語の基本にのっとった起承転結にのっとった『怪物出現>怪物暴れる>主人公奮闘する>怪物死んでよかったよかった』という展開になっているとすれば、ゾンビ映画は『ゾンビ出現>ゾンビは人喰いまくり>主人公逃げながらゾンビと戦う>そのまま逃げて終わり』という、起承転結で言えば『結』の部分がなくなっている感じ。
つまり根本的な部分が何も解決されてないまま終わる事が多いです。
まあ確かに、ゾンビ映画での物語というのはえてして(舞台のスケールは小さいなれど)被害の規模がやたら大きくなる事が多く、加速度的に増加していくゾンビに対して最終的に個人がどうこうできるレベルに収まるわけはなく、登場人物たちがいくらがんばって戦ったところで所詮は付け焼き刃な抵抗になるのは確か。
そのため、考えてみればそんな設定にて、登場人物たちが物事を万事解決させてめでたしめでたしな結末にできるほうがおかしいともいえます。
したがって、ゾンビ映画の終盤では、結局は逃げおおせず全員死亡でエンド、ゾンビがあふれ出してきてこれからどうなるのか…といったところで終了、ゾンビに追い詰められてもう絶望的な状況となったところでエンド、何とかゾンビで溢れる場所から逃げおおせたところで後は想像にお任せ終了、といったパターンで終わる事がやたらに多いです。 というかほとんどかも。
『サンゲリア』『地獄の門』『ビヨンド』などのルチオフルチのゾンビ映画なんかは、物語中に大仰な設定を出して、風呂敷広げるだけ広げて結局何一つ解決せずに尻切れトンボで終わりというモノが多く、まさに中途半端エンディングの王道と言ってもいいかも。


 ・邦題タイトルがやけに投げやり
ホラー映画というのはマイナーなジャンルに入る映画のせいか、日本でリリースされる際には、どうにもタイトルに対してイイカゲンな扱いをされる事が多いようです。
代表的なのが、『死霊〜』『恐怖の』『ゾンビ〜』『悪魔』といった言葉をつけたタイトル。
別に原題そのまま使ってもいいと思うのに、わざわざこのようないかにもホラー映画ですよ!といった単語を含めたタイトルにしてしまう。
おかげでわかりやすすぎるくらいわかりやすいタイトルとなってしまって、もうホラー映画ですよーという雰囲気プンプンなため、どうにも安っぽく見えてしまう。
ホラー映画は確かに怖がらせたりゴア描写を見せたりするのが目的の映画ですが、しかし単に怖がらせたりゴア描写があるだけでなく、中にはかなりできのいいモノや、深い内容の名作もあります。
しかしながらそんな名作ホラー映画も、陳腐なタイトルのせいでイメージ台無しになってしまうことも。
確かに英語そのままだとちょっとしっくり来なさそうなタイトルの場合、ある程度日本語でも通じるようなものに変更してしまうのはいい手かもしれませんが、でもそれにしても原題とはまったく関係の無いものに変えてしまってるのはどういう了見か。
そもそも直訳したモノにしても何の問題もなさそうなタイトルですら、陳腐な邦題に変えられてるほどです。
『Day of the Dead』なんか、『死者の日』でいいじゃないか。 どうして『死霊のえじき』とかいういかにも安っぽそうなタイトルをつけてしまうんだ。
『Evil Dead』も『悪霊』とか『邪悪な死者』とかでいいのにどうして『死霊のはらわた』なんてヘボいタイトルつけちゃうの?
『The Return of the Living Dead』もどこから『バタリアン』なんて名前にしたの? 死者の復活とか死者の再来とかそういうタイトルでもいいのに。 …まあこれはオバタリアンという単語を生み出してちょっとしたブームにはなったので結果はオーライかもしれませんが。
『Death Warmed Up』なんて、なぜに『いかにしてマイケルはドクター・ハウエルと改造人間軍団に頭蓋骨病院で戦いを挑んだか』というホラー映画史上最長ともいえるクソ長いタイトルをつけちゃったのか。 しかもパッケージでは『マイドク』と略してたりもするし。 ある意味いいセンスしてるともいえますが…。
他にも『Re-Animator』が『ZOMBIO ゾンバイオ・死霊のしたたり』に、『Texas Chainsaw Massacre』が『悪魔のいけにえ』に、『After Death』が『人喰い地獄・ゾンビ復活』に、『OZONE』が『ゾンビドローム』に、『Demonwarp』が『エイリアン・ゾンビ』に、『Without Warning』が『ニンジャリアン』に、『Dead Head』が『ゾンビ・コップ』などなど、とにかく原題とはかけ離れたタイトルは数多い。
中にはどう見てもテキトーに付けられたとしか思えないような手抜きっぽい名前なんかも少なくなく、もうなんというか、つけたやつはホラー映画が嫌いなのか?と勘ぐりたくなってしまいます。
もしかしたら、中には一生懸命目を引くようなインパクトのあるタイトルにしようとしたものもあるのかもしれませんが、あまりにストレートだったり投げやりっぽい感じのものが多いこの手のタイトルは、インパクトよりもむしろ陳腐で安っぽいイメージがついてしまっているような気がしてならないです。


 ・ここから下のはC級ホラー映画でよくあるパターン
ここまでは普通のホラー映画でよくあるパターンを考察してみましたが、ここからはそれよりさらにランクが下の、いわゆるC級ホラー映画でよく見られるパターンを考察してみます。
ちなみにC級ホラー映画とは、マイナーで低予算なホラー映画業界においてもさらにマイナーな存在の、超低予算ホラー映画の事。
演技はしょぼく、音楽はしょぼい、特殊メイクは安っぽく、敵はしょぼく、スケールは小さすぎるし、そして肝心の内容もつまらない。
で、そんなただでさえマイナーな存在と言えるホラー映画の中でもさらにマイナーどころといえるC級ホラー映画では、従来のホラー映画ではまたあまり見られないような変わったよくあるパターンが出てくるのがなかなか面白いところです。


 ・緊張感に乏しい
C級ホラー映画で比較的よくあるパターンです。
普通、ホラー映画というのは怖がらせてナンボ。 なので緊張感溢れるシーンが多くなければなりません。
そんな緊張感溢れる内容にしなければならないジャンルの筆頭なのにもかかわらず、みせ方が甘かったり音楽がしょぼかったりして、緊張感の感じられない内容。
まさにC級ホラー映画らしいですな。
逆にいえば、だからこそC級ホラー映画だといえるわけなんですが。


 ・やたら至近距離からのカメラ視点でごまかす
C級ホラー映画は超低予算で作るためか、役者やセットはもとより、特殊メイクにも金をかけることは出来なかったりします。
だから、ホラー映画の見所ともいえる人体破壊シーンや殺人シーンは、通常のホラー映画に比べてどうしても低予算ならではな粗が目立つというものです。
C級ホラー映画では、そういう低予算でショボイ所ごまかすためか、人体破壊や殺人シーンを筆頭に、様々なシーンをやたらにドアップで映す事が多いです。
例えばあるゾンビ映画では、ゾンビが大量に出現している場面では、どのシーンでもカメラを近から映して常にゾンビが5〜6人だけしか画面に入らないようにし、他のゾンビは一切見えないようにする、などしていました。
おかげで、そのゾンビ映画に出てくるゾンビは常に同じ顔のヤツばかりが出てくるので、まるでゲームの量産型ザコキャラみたいな感じでした。
他にも、刃物で切られるシーンなんかも、少々の血糊と部分接写をゴニョゴニョ動かす事により暴れながら切られているっぽく見せる、でも実際には何されているのかはカメラが近すぎるせいで全然わからない、など。
一応、そういう部分的な接写をする事より、通常なら全体を作らなければならないシーンでも部分的につなぎ合わせるだけでできるなど、それなりにごまかしが効くんですよね。
これは普通の映画でも使われている手法といえますが、しかしC級ホラー映画ではそれがさらに顕著だということです。
あまりにそういう至近距離シーンが多いため、みてるとすぐに『ああ、低予算なんだな』というのがわかるというものです。
余談ですが、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』なんかもこの手法を活用してましたよね。 こちらは大ヒットしたようですが。


 ・展開が無理矢理で支離滅裂
C級ホラー映画というのは、内容がつまらないからこそC級と呼ばれているともいえます。
んで、その中でも特に多いのが、内容のムリヤリさ。
映画というのは所詮はフィクションであるため、現実とは違った強引な展開はある意味当然と言えば当然なんですが、そこをいかにして無理なく見せようとするのが、映画制作者の腕の見せ所。
例えば台詞回しに気を使ったり、シナリオに気を使ったり、見せ方や編集に工夫をこらしたりなど。
ホラー映画でもそれは同様で、怪物などが出てくる非現実な物語をいかに無理なくリアルっぽく見せるかが難しいところです。
で、C級ホラー映画の場合、予算の関係もあるでしょうが、とにかく展開のムリヤリさが強烈。
たとえば都合のいいところに武器やら何やらが偶然落ちていたり、登場人物たちがまったく脈絡もなくわけのわからない行動をとったり、異次元ワープでもしたかのごとく唐突に場所が変わったり、唐突にラスボスが出てきたり、それまで無敵だった怪物が普通の人間でも死なないようなしょぼい攻撃であっさり死んだり、などなど。
中にはムリヤリどころかストーリーの全容すら理解し難い内容のものもあったりして、なかなかどうしてここら辺のわけわからなさはC級ホラー映画ならではといえます。


 ・意味の無いシーンがやたら大量に挿入される
C級ホラー映画は展開がムリヤリなのがツッコミ所の一つですが、それと同時に意味の無いシーンにやたら時間をかける、というのも特徴の一つです。
なかでもよくあるのが、前述したような、ゆっくりじっくり歩んだり周りを見回したりするシーン。
これだけでかなり尺が短くなるものですが、C級ホラーではそれに加え、ある場面をやたら長時間流し、しかもそれが内容とはまるで関係ないというケースもやたら多いです。
ある映画では、どこぞの部族の踊りのシーン(しかも記録映画から拝借したヤツなので主人公達が出てこない)を20分近く延々と流していました。
またある映画では、登場人物が映画を見ているシーンだけで15分以上使ったりとか。
つまらない会話で数十分分も引っ張ったりとか。
低予算ゆえの苦し紛れなのか、はたまたネタが無いのかどうかはわからないんですが、とにかくそういうシーンの多いC級ホラー映画。 おかげでそんなつまらないシーンを早送りで見ると、一本を30分、いや20分程度で見終われることも珍しく無いです。


 ・最初のシーンだけ特殊メイクに力が入っている
C級ホラー映画でありがちなのが、冒頭の数分だけ力を入れて、後はグダグダという展開。
中でも特殊メイクに関してその傾向が強く、最初のシーンで(C級ホラー映画にしては)力の入った特殊メイクによるスプラッタシーンを披露し、後はダラダラ内容が続くというのはその典型。
パッケージなんかに『人間が溶解していく!』という宣伝を掲げていた、私が見たある映画なぞは、最初のシーンでちょっと力の入った特殊メイクでの妖怪シーンが流れた以外は、ただの超低予算のしょぼいホラー映画という有様でした。
まあ確かに、最初のシーンで客をつかんでおかないと見てくれないためにこのようになったというのはわかりますが、しかしながら最初のシーン『だけ』に力を入れてあとはしょーもない内容というのはさすがにどうかと。


 ・宣伝の説明文だけはスゴイ
宣伝というのはその製品を売り込むための重要な要素であり、そのため誇張したり普通よりも大げさに説明をしたりします。
ホラー映画の場合、そういう宣伝を目にする機会があるとすれば、ビデオのパッケージ裏に書かれている説明文がそれに該当するでしょう。
多くは、物語の内容をかいつまんで説明しているのが一般的ですが、中にはその映画のウリとか特徴などを強調している場合もままあります。
んで、C級ホラー映画なんですが、このパッケージ裏の説明文が面白いです。
何が面白いって、つまらない内容をとにかく一生懸命面白そうに見せようとしている、パッケージ製作者の努力の様がありありと見て取れる所。
あるC級ホラー映画では、『○○(ある有名な映画)の特殊メイクを手がけた○○が特殊メイクを担当!』といった宣伝がありましたが、本編での特殊メイクはお粗末極まりないものでした。 本当にその担当者はその有名な映画の特殊メイクを担当してたのか?と思えて仕方なかったです。 もしかしたら、特殊メイクの準備を手伝ったり雑用してただけの人の事をいってるだけだったりして。
また、あるC級ホラー映画では本編の内容には一切触れず、撮影中にゾンビ役の人が悪ノリしてスタッフとけんかしたとかそういう話がかかれてました。 撮影中にけんかしたとか別にどーでもいいだろ、そんなこと説明文にのせんなよ。
そんな妙なノリで読んでて面白い説明文と、それに反するようにつまらない本編の内容こそが、C級ホラー映画というものなのかもしれませんな。



というわけで、ホラー映画でよくあるパターンでした。
具体的な作品名や例は出しませんでしたが、しかしとにかく『ああ、そういえばそういうのってあるよなあ』という感じの納得どの高いパターンなのは確かだと思います。
これを読んでもう一度ホラー映画を見ることで、また新たな発見があるかも。